「50話もある子供向けアニメなんて見てらんないよ」そう思っていました
ここ数日喧しいとお思いだろう
そう日曜朝7時に放送していた玩具販促アニメ『ヘボット!』に私は今お熱なのだ
もちろんアニメ50話なんて見てらんないし、1話だけ見てやるかと見ていただいた方もいるだろう しかし
「なんかギャグも寒いし、意味わかんないし、適度にシリアスなんでしょ?まぁそれだけ知ってりゃもういいわ」
そう興味が失せた、そんなあなたにヘボット!がアニメ史に未来永劫残る作品なのだということを知って欲しい
ここ数年、映画から漫画、アニメに至るまで世界中で様々なエンターテイメントはパロディや元ネタありきのお話が飽和状態になっている
制作人にその意図があったかと言われれば無いだろうといわざるを得ないが、このヘボットはそれを逆手に取った新しい形のパロディギャグアニメおよび、日本が一度失い海外へとお株を奪われたアニメーションを再びその手に取り戻したと信じてやまない記念すべきジャパニメーションだ
というのも一般には広く知られてはいないがカートゥーンネットワークで放送している「アドベンチャータイム」この海外アニメにジャパニメーションのほとんどは負けてしまったのだ
『アドベンチャータイム』この作品は、核戦争の果て、魔法や怪物などが生まれた地球で唯一の人の子フィンが複雑な伏線や世界観説明を背景にふざけた冒険を繰り広げる子供向けアニメだ
しかしこの設定、非常に似た話題のアニメがある そう「けものフレンズ」だ
(奇しくもアドベンチャータイムの持つ魅力を日本で再現しようとすると萌えが先行しようとして旨味を殺してしまったように感じたが、これは個人の感想なのでスルーするヘボ)
しかしそれとはまったく別な試みで『アドベンチャータイム』を日本で土着化して見せたもの。それが『ヘボット!』なのだ
企画としてはタカラトミーの『タイムボカン24』の玩具に対抗してバンダイが打ち出したものだが、出来上がった物は『アドベンチャータイム』を超え、ここ数年のアニメーションから抜きんでた名作になった
もちろん毎話ごとに複雑な世界観や伏線を張っていくのだが、ここで重要なのはその見せ方なのだ
子供だましな馬鹿らしいデザインや唐突な展開に意味不明なパロディシーン、脳が疲れ嫌気がさしてくる
しかしそれを見続けていけば、それは真面目にやれば手垢のついたSF展開を隠すための隠れ蓑でしかなく’’あえて’’くだらなくしていたことに気が付き
その時既に視聴者は今まで見てきた一つ一つが疑わしく見え、全てが恐ろしくなってゆく
この世界の人間は?ネジとは?主人公、ネジルとは?なぜヘボットは玩具なのか?
1話1話を噛みしめこの物語の真相を知った後、既に君はこの作品世界に取り込まれ一体どこまでが現実なのかわからなくなっているだろう
そのあくまで直接的ではない表現方法は一種の発明だ ジョージ・A・ロメロが1978年 消費社会をゾンビという形で痛烈に皮肉った『Dawn of the Dead』同様、視点を変え発想の転換で新たな手法で後年続いていく手法を編み出したのだ
藤子・F・不二雄のSF短編集の解説に寄せられていた日本の3大SF作家、筒井康隆先生曰く
「SFというジャンルのアイディアは昨今ほとんど出尽した観がある。誰が書いたSF作品を読んでも、過去にそれと類似のアイディアがなかったためしはない。したがって最近では、といっても二十数年前からであるが、おれが一SFファンであったあの過熱気味の揺籃期みたいに「これはあの作品の二番煎じだ」「これはだれそれがすでに書いている」といって論争するようなことはまったくなくなってしまった。そうしたアイディアはすべてSFにとって日常のものとなり、そのアイディアによっていかに現代を照射するか、いかに問題を際立たせるかが現代SFの課題となっている。」
ベクトルは違うものの本質的な点では『ヘボット!』はまさにこのマンネリズムを突破したものだと私は思う
ゆえにヘボットは名作であり、今後も語り継いでゆく普遍性を持ったアニメなのである
さぁ今すぐどんな手を使ってでも見るのだ!
どうせここまで誰も読まねぇから言うけど、劇中に出てくるわけわかんないもの大体が世界を監視する上位者か主人公の成れの果てだから
こうやって書いている自分も既にネジルの役割を捨て対消滅によって変わってしまったネジルなのかもしれない....