雑食ふしあな雑記

勢いだけで映画やアニメの話など 

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トイストーリ4 正しさによって破壊される俺たちのウッディと自立した女性 

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 まず

良かった。

 

 

というのは公開前にネット上で散々な言われようをしていたポリティカリーコレクトネスが形を成しておらず、形骸化していたが故だ。

 

 

大前提としてこれまでのトイストーリーシリーズ、そしてピクサーの立ち上げから育て上げた、宮崎駿の直系の弟子と言っても過言ではないジョン・ラセター

 

彼がセクハラ問題によって外された状態で制作されたものだであるということ。

 

当然女性社員にハグの強要は擁護し難く、今のご時世離脱はやむを得ないとは言えるだろう。

 

しかし彼を外し、これまで積み上げてきたピクサーの魂と言えるシリーズ最新作に、

無名の女脚本家を起用し描かれたトイ・ストーリー4はどうなったか。

 

トイストーリー4はどうおかしかったのか

 

まずこれまでのトイストーリーの中では、おもちゃの持つ「子供に遊ばれたい」という欲求は人間に置き換えれば「遺伝子を残す」というようなホモ・サピエンスの根源的な欲求として設定されている。

(当然オモチャ=アニメーター達であることは大前提として)

 

 

しかし、アンティークショップに売られたボー・ビープはそれを否定し「私は自由。そして他の奴らは自由を知らない」と宣言する姿は心を打つわけでもなければ、なぜ彼女がそこまで自由に執着するまでに至ったのかの経緯に共感ができる描写もない。

 

 

さらに今回のかつてのシリーズに比べボーは非常に冷たく、一つのミスをネチネチと責め続け、誰かのおもちゃであることを悪く思いこそすれ、良きこととは思わない。

 

ボー・ピープの正体

 

これはウッディたちがアンディの親であることのメタファーと同様に、ボー・ピープにも現実のあることを込められているのではないか?

 

ボーは店の中で埃をかぶっていた売れ残り。

 

売れ残りは、行き遅れ?

 

そしてウッディのミスを延々と責め、どうしてそこまで必死になるのかを理解しようともしない。

 

なのに最後は「そこが好き」などとぬかす。

 

 

 

これは自立した女性像に配慮したポリコレ映画に見せかけた

 

「私が幸せでないのは男のせいだ」という、セックスアンドザシティを見過ぎたメンヘラが、ひねくれの極致に至っていることへの痛烈な風刺映画だったのではないか?

 

これは単純に男の下種の勘繰りだけではなく、数人の異性から聞いたこの映画への感想を総合したものであると言っておきたい。

 

 

そしてさらに読み方の幅を持たせれば、ジョン・ラセターを排除したことへの仲間達からの内部告発的な映画…という見方もできる。

 

「俺たちが描いてきたクリエイターの魂は、社会的な目配せのために頭を挿げ替えられ、思い通りにならないことを喚く嫌な女の夢を叶える映画にされた」

 

などと、自分で言ってても飛躍しすぎだろう。というような勘ぐりだが、その見方でなければ耐えられないほど悲しい映画になっている。

 

 

俺たちのウッディはどこへ...?

ウッディは子離れを経験し、自分の存在意義をフォーキーへと託し、誰かに愛され、喜ばせるという、生きることの意義をギャビーへと継承する。ある意味グラントリノ的な一人の魂のエピローグと言えよう。

 

しかし

 

 

完全に空虚な存在となったウッディは目先の女に惹かれて、これまで全てを分かち合ってきた友達の元を離れて女の元へ行くのだ。

 

違うだろう!!!あんた達が作ってきたものは古びないし、新しいものと一緒になって子供を楽しませてくれるものだろう!!

 

ジョン・ラセター達が生み出した、みんなの大好きなウッディは”自立した女性”によって俺たち子供を捨てさせてしまった。それはウッディの意志ではなく、社会の同調圧力によってだ。

 

 

 

トイストーリーは親と子・エンターティナーと受け手の話だ。

 

決して、決して男女や人種、権利の問題であってはならない。

 

 

ではどうすればよかったのか

つまり今回のトイストーリーで描かれるべきウッディの話は、自分では守れないボニーを見守る親という役割をフォーキーに託し、

 

自分の意思でギャビー・ギャビ―にサウンドボックスを譲って死ぬべきだった。

 

 

そしてその後

 

フォーキーがボニーのために行動を起こすシークエンスを描き、新たな主人公が生まれるという活躍を見せなくてはならない!

 

そしてギャビー・ギャビーは女の子に持ち帰られ
その家で新たな友達を作り

 

ある一人のカウボーイの魂が”ゴミ”と”女の子”へと受け継がれていく。という話にすべきだった。

 

 

世界中の観客が見たかったトイストーリー4はこれだ!

 

でなけりゃウッディを返してくれ!あんなオチならウッディは死んだほうがマシだった!

 

あと誰のおもちゃでもなくなるならウッディの足の裏の「Bonnie」が薄れていくぐらいの演出しろ、ラセターなら出来たぞ!

 

つーかAndyの名前は残しとけよ!両足に名前があるってのでいいだろうが!

 

 

これで満足かディズニー!フェミニスト

 

 ポリコレによって汚される女性たち

子離れしたと思ったら、今度はお前らから擦り寄ってきて、今度は子供なんていらないだと!?

 

 

俺たちの相棒バズの知能まで下げやがって...

 

これまでバズはボタンを押さなくても心の声は聞こえたし、決して友達を見捨てない!

 

 

まてよ…イケてるバディの知能が下がってる…?

 

 

スターウォーズEP8じゃねーか!

 

Fuck you!Disney!Metoo!嫌なら辞めて自分で啓蒙映画作れ!

 

 ボー・ピープみたいな嫌な奴を「自立した女性像」として掲げて、足を引っ張り印象を悪くしてるのは、まさに作っている女性側じゃないか!

 

そもそもちゃんと自立しようとしてる女は既に気高く自立してんだ!

 

「Hidden Figures」を見ろ!

 

頑張ってる女性の足を引っ張るな!

 

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 最後に

長々と書いてきましたが結論は

 

自立した女性像を汚すだけに留まらず、世代への継承の物語にもなっていない駄作

 

 

 

ディズニー・ピクサーでこんなにも志と完成度が低い映画は初めてでした。カーズ2より酷い。

 

別の方法でラセターを罰しつつ、責任としてしっかりと作品には関わらせるべきだった。

 

 

こういった旧態依然の体制、そして男女同権に対してどう描き、活かしていくのかを考えて行かないと

 

 

窮屈で歪んだ「平等」

 

 だけが残ってしまう

 

 

 

 

www.youtube.com

 

Strange
最悪だぜ

Strange
嘘だろ?

Strange
冗談じゃないぜ
おれは寂しいよ

Strange
こんなことなんて

Strange
間違ってる
Strange
見捨てないでくれ

Strange
すべてが
Strange
すべてが

すべてが
Strange.....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイストーリ4を前に。見たいものと、見せられるもの。 ポリティカリ―コレクトネスは本当に”正しい”のか

※この記事はトイストーリー4をまだ見ていない、現在進行形で胃を痛めている男が書くものです

 

※※肌の色、性別に違いあっても差をつけるようなことはあってはいけないという思想を持っています

 

まず今巷で騒ぎになっているトイストーリ4がポリコレ展開で過去作を否定している。

 

という話題が流れてきて、非常に心の均衡を崩している私ですが....

 

まず大前提としてジェームス・ガン監督の騒動と同様に、ジョン・ラセターのセクハラがなければこういった問題は起きなかったということは間違いのない事実でしょう

 

私は黄色人種の男性として何一つ当事者意識はない、からこそ抱く感想なのかもしれないとい前置きを付け加えて、こう言いたい

 

 

 

マイノリティや性別に関して権利主張を

描きたい奴はそこだけのチーム作って

別の映画にしてくれねぇかな

 

 

ディズニーなどの全世界に向けて作られる娯楽映画において

 

「自分たちの社会問題」を提起されてもお門違いなのだ

 

もちろん全世界どこにでも差別はある。しかしディズニーのポリコレの描き方はあまりに画一的で極端だ

 

モアナであれば男性キャラに「島で子供の世話をしていればよかったのに」と言わせている

 

これを見て正直なところ、そんなことを思ってもいない自分まで責められたようだった

 

「男はこういうことを言う」これはセクシャリティに対する偏見と差別だ

 

 

男性の中でも「女はこうあるべき」という価値観を持つ者と「同じ人間なんだから差別はよくない」という価値観を持つ者がいる

 

これは女性に置き換えても同じだろう

 

 

 

 

 

 

ディズニー映画を見に行く観客は楽しく、より上質な娯楽を望んで席に着く

 

しかし見せられるのものは、どちらかを貶めて見せられるどちらかの立場だ

 

マイノリティの問題を本来見たかったものの中に希釈して混ぜられて、マジョリティに見せたところで反感しかない

 

 

なぜならそれは本来そのために描かれたものではなかったからだ

 

その点、ズートピアは素晴らしかった。人の持つ無意識の先入観や差別意識をエンターテイメントに昇華させて見るものの視点を変えた

 

Hidden Figuresも同様だ。どちらか一方を貶めるのではなく、黒人女性がいかに人類史に貢献していたのかを描いている

 

 

ではトイストーリーは性差の為に作られた映画なのか?オモチャに命を吹き込み子供の為に奮闘するあの映画に政治的社会的問題は描く必要はあるのか?

 

 

 

明日見に行くのですが、非常に憂鬱です

 

 

トイストーリー4.....君は友達かな?

 

 

 

 

 

 

 

今更、でも今だから語るべき「スパイダーマン・ホームカミング」

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あまりに熱が入り周囲の人へ熱弁していたせいでこちらに書くのを忘れていたので

 

続編であるスパイダーマン・ファーフロムホーム公開を前にもう一度

 

 

なによりこの映画で語るべき点はたった一つ

 

 

バルチャーによって瓦礫に押しつぶされ、マスクを脱ぐピーター

 

そして思わず「助けて!」と叫ぶ

 

しかし誰にもその悲痛な声は届かない

 

水たまりに反射する自分の泣き顔とマスク

 

 

そこで、これまでのヒーロー映画にはなかった「自分の中にあるヒーロー」によって鼓舞される

 

これを描いたのが一番堪らないポイントであり、これまで何度もリブートをされてきたスパイダーマンで唯一描ける...

 

 

人々がなぜ現在過去未来永劫

 

ヒーローを求め続けるのかという最も根源的な話なのだ

 

 

 

この現代社会、常に何かに押しつぶされそうで、泣いて、叫んで、それでも誰も助けてはくれない

 

 

じゃあ何が自分を助けてくれるのか、誰が重く苦しいプレッシャーを跳ね除け、もう一度立ち上がらせてくれるのか

 

それは自分の中にいるスパイダーマンだ!

 

自分の中にいるスパイダーマンが今、自分を内側から支えているから立ち上がれる

 

 

ある意味これは精神的な面で「ロッキー」と双子のような作品だ

 

ピーターはあそこで瓦礫を押しのけ、立ち上がったところで真の意味でヒーローになった

 

だから最後に勝ちはしない

 

例え力が強くなったわけでもなく、助っ人がいるわけでもない

 

でも自分の中にヒーローが立っている

 

それがわかったから誰にも負けない、折れれば中から支えてくれる

 

 

 

 

サム・ライミ版の2作目、映画史上最も好きなメイおばさんの台詞

 

 

誰だってヒーローを愛している。
その姿を見たがり、応援し、名前を呼び、何年もたったあとで語り継ぐでしょう。
苦しくても諦めちゃいけないと教えてくれたヒーローがいたことを。
 

 

誰の心の中にもヒーローがいるから、正直に生きられる。
強くもなれるし、気高くもなれる。そして最後には誇りを抱いて死ねる。

 

でも、そのためには常に他人のことを考え、いちばん欲しいものを諦めなくちゃならないこともある。自分の夢さえも。
ヘンリーはその気持ちを教わったから、スパイダーマンの行方を聞くの。

 

 

スパイダーマン・ホームカミング」この映画は

メイおばさんのセリフを「自分の魂」に向けた映像化作品といえるだろう

 

 

 

そんな自分を支えていた二本の内一本、トニースタークを失った彼が果たして

どう立ち上がり、誰かの支えになるのか

 

 

GotG Vol.3を除けば、今作で一度MCUと別れを告げるつもりなので、心して見に行こうと思います

 

では

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」を読んで

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約一か月かけて1冊久々に読み終えた

 

PIXARピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」

 

何より驚いたのは、これはピクサーにいる天才たちがいかに難題を一つ一つ乗り越え、世界のエンターテイメントを変えたのか

 

 

ということとは別に

 

 

スティーブ・ジョブスピクサーを通してどう変わっていったのか、そしてピクサーを通して世界の技術を変えたのかという点だ

 

 

今まで表立って語られることのなかった友人・スティーブとしての人物像や、彼は自分の範囲外へのクリエイターをどう捉えていたのか、という話を踏まえ

 

 

この本の著者にして彼がいなくては、エンターテイメントも技術も今のようにはなっていない時代の影の立役者ローレンス・レビーが最後に提示した「中道」を、果たして今のディズニーピクサーは成しえているのかどうか

 

経済本のジャンルに括られてしまっているが、田舎の小さなビルから世界はいかにして変わったのかを辿る非常に幅の広い一冊であり

 

そしてスティーブ・ジョブスが無性に近く感じられた

 

「やぁ、ローレンス。散歩に行くかい?」

『I am Mother』 流石にこれはどうなんだ盗作問題

Netflixで配信中のSF映画「I am Mother 」

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外界から断絶された無人の施設で一台のロボットに育てられた少女が、ある日いるはずのない外の人間と接触し...

 

というお話

 

 

予告を見て非常に楽しみしていたが、蓋を開けてみれば

 

ロボットのデザイン、世界観、展開、テーマどれもゲーム「Portal」そのままなのだ

 

 

このゲームがどういうものかは動画で見ていただければ分かるだろう

https://youtu.be/TluRVBhmf8w

 

 

そして続編の「Portal2」が今回の問題点である

 

 

外から来た者によって閉鎖的な施設から逃げ出そうとするが、何か不穏。

 

1作目で自分を殺そうとしたAIは人間だった頃の自分の母であり、またそれに気づいたAIも人間の時の記憶を少しずつ取り戻し、最後には協力し外から来たものを倒し、最後には娘を愛ゆえに外界へ送り出す

 

ほとんどこのI am Motherのあらすじと同じだ。

 

それどころか母であるロボットの顔まで似ている

 

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絵作りや雰囲気、異常を検知して走る母の怖さであったりは文句無しでいいが、冒頭かエンドロールで

 

「今作はPortalより着想を得た」と一言添えなくてはならないレベルで影響を受けていることは明白だろう

 

他にも胎児が大量に保存されている部屋のデザインや、ツヅキ服の上半身だけ脱いだビジュあるなど

 

バレないようにしようとか、自分なりにPortalから昇華させようという意思も見受けられない

 

 

さらに「母以外の外にいるロボットも母と同じ統合AIである」という展開にとてつもなく絶望する主人公だが、いやそれは誰でもわかってるし、そう思わせないような見せ方をしているわけでもない

 

これならずっと浮上しては消えるPortal実写化に予算を回して欲しかったものだ

 

 

 

「プロメア」今石中島コンビの異様な映画....また私は如何にして完成度を諦め燃え上がるようになったのか

今石&中島コンビの初のオリジナル映画

 

「プロメア」を見てきた

 

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結論から語るのであれば

 

『ラーメン食べに行ったら、出て来るのに1時間以上かかって、その間食ってる餃子のしゃしゃりもなく水は変な味がする。

やっとラーメン来た!と思って食べたら美味いけど食べなれた味、いやでも確かにうまい』

 

こんな感じ

 

 

まず舞台となる街の景観をこれでもかと見せられるが、とにかくビルのCGが酷い

 

もちろんビルを作り込め!というわけではなく、この映画は徹頭徹尾 物体のデザインやエフェクトのセンスが酷い

 

あからさまに予算の問題が浮き彫りになるような光景を長時間見せられてもひたすら不安にさせられ、事が起きた!と思うとあの炎のデザインが安っぽいわ人工物さが前面に出すぎていて違和感が続くし

 

 

この話の核となる炎はキャラクターの感情を表したり、後半で明かされる炎の謎などと非常に重要なファクターであるにもかかわらず、まったくそこにはシンクロせず

「CGソフトで作ってます」と無機物感から画面をはじき出される

 

さらにこれまでは得意だったはずのオフビートなコメディの流れでキャラクターの魅力を見せていく今石監督の過去作と比べると、非常に薄味でとにかくセリフで説明してしまう

 

 

 

例えばセルフパロディ的な主人公ガロ、馬鹿で無鉄砲で熱血漢というのがあまり行動では表されない

 

パロディ元のカミナであれば足を踏み鳴らしたり、考えるより先に体が動くような魅せ方だからこそ良いが、ガロは粗暴でもなければ声も荒げない

 

しかしこれは主演で一番声を張って見栄を切らなくてはいけない松山ケンイチの演技プランが間違っているせいも大きい

どこか声が落ち着いていて見栄切りのシーン全てが聞き取りにくい、勢いがでない

 

 

なぜコレにリテイクを出さないのか上映中不思議で仕方なかった

 

 

打って変わって堺雅人は非常に良かった

 

元よりキャラクター演技が得意であるにしても、クライマックスでの声の荒げようはしっかりと邪悪さが全面に出ていて落ち着く

 

 

 

そして映画全体の問題として、2幕目に至るまで(具体的に言えばガロが収監されリオがデビルマン化)にガロとリオの対立があまり行われない

 

 

「こいつ、気に入らねぇ!」的な後の魂を共鳴させるフリがないせいで、終盤の協力して敵に立ち向かう理由が「共通の敵だから」以外に何も見えてこない

 

 

なんというかゲームのチュートリアルでラスボス手前まで来た。という感じ

 

いい加減辛くなってきて、金返せと思い始めたその時

 

 

1時間30分ほど経過し、主人公二人がやっと巨大ロボに乗り込んでから一気にかつての勢いを取り戻していく

 

あまりにも突然現れ、ロボである必要もないという点を「デウスエクスマキナ」という機体名でギャグにしてしまうのはイイし、意図的かどうかはわからないがHEROマンセルフパロディ

 

 

そこからやっと期待していた「いつもの今石・中島コンビ」を見せてくれる上に

 

フィル・ロード&クリス・ミラーコンビにも似た笑いも多く、一気にテンポが良くなっていく

 

ロボや技名が後ろに字幕に出たと思ったら一瞬で消えたり、武器で隠れてたりなど

シンゴジラのテロップギャグへのオマージュを感じる)

 

これでなんとか元は取れたし「それを....待っていたぁぁぁぁ!!!」f:id:arua_V8:20190606223859j:plain

 

 

 

 

しかし問題が解決するための「不完全燃焼のプロメア星人をすっきりさせる」

 

というこの話の問題点がガロにもリオにもかかっていないため、結局物語のテーマにはライドできずやはり映画全体の不出来さが浮き彫りになってしまう

 

 

 

脚本の中島さんは当初「ヒックとドラゴン」的なジュブナイルをやろうとしていたが、今石監督が嫌がったらしく「のっけからアクションシーンが出てくるような映画にしたい」ということで今作の出来になったらしいが

 

 

前半ジュブナイル、後半手癖全開という判断にしていれば一般受けも狙えて、やりたいこともできたんじゃないだろうか

 

 実際ヒックとドラゴンはのっけからアクションシーンをやっているし、後半は手に汗握る熱い空中戦を繰り広げているのだから

 

 

なんというか今石監督がグレンラガンなど過去作から新しいこと、成長したところからは一切出ずに「いつもの、みんな知ってるオタク映画」で留まっているのが少し残念

 

 

 

 

 

次はちゃんとウェルメイドでありながら手癖全開の「大人な映画」を見せて欲しい

 

 

 

ボロクソに言ってるけど、自分の魂の真ん中にはグレンラガンがあるからこそ、さらにこのコンビの燃える作品が見たいという気持ち故です

 

あとリオくんはめっちゃ可愛い

 

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「Godzilla: King of the Monsters 」 荘厳な神々の王座決定戦....と思いきや

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歴代ゴジラシリーズをうまく混ぜ合わせ、それをハリウッドの莫大な予算によって焼き上げたそんな一作

 

 

 

前作のギャレス・エドワーズ版にあった「怪獣の出番が少ない」「人間ドラマに乗れない」などの不満点を大きく解消しただけではなく

 

 

「あの兵器が!?」「あの技が!?」「あの展開が!?」とシリーズファンには堪らないサービスがいっぱい

 

 

ゴジラのデザインも前作からブラッシュアップされ、足はスッキリ、背びれは厳つく原点回帰、放射能火炎は粘り気が減り、よりビームらしく

 

ラドンキングギドラモスラもみな歌舞いて、まるで宗教画のような場面多数!

 

また今回は渡辺謙演じる芹沢博士の出番がかなり多く、美味しい役側になっているのもポイント

 

 

そしてなにより今回は伊福部御大の音楽が何度と使われるに留まらず、ハリウッドアレンジされ荘厳さが増して

 

スケールの大きさと、日本では見れなかった「俺たちの見たかったカッコいいVS映画」をやってくれているのがもう最高

 

大きくスクリーンで巨体が組み合い、光線を撃ちあい、倒れてもなお立ち上がって街や人々を破壊しつくしていく様に涙が出て来る

 

 

まさに地球の支配者を決めるにふさわしい規模の戦いだった

 

 

と感傷に浸ろうとしたその時、後日譚と共に随分とノリの違う「粋な」メロディが...

 

 

www.youtube.com

 

 

違った、荘厳とか宗教画とか言ってた自分がバカらしくなる....

 

 

これはとんでもねぇボンクラギーク監督が、俺たちボンクラギークのために作ったお祭り映画だったんだ!!

 

 

ソリャ!ソリャ!!ソリャ!!!

 

ハッ!ハッ!ハッ!

 

ゴ・ジ・ラ!!