ヒーロー論
ここ数年アメコミ映画のヒットにより(主にMARVEL作品ばかりですが)
『ヒーロー』を大々的に掲げた作品が増えてますよね
その流れで過去短期間週刊少年ジャンプに載されていた(らしい)
『レディジャスティス』の作者、荻野ケン先生が単行本のカバー裏においてこんなことを仰っています
一部抜粋「近頃、お金を貰って正義を行う、えせヒーローが増えていますが〜」
ここで彼の言う「えせヒーロー」とはおそらく『TIGER&BUNNY』を筆頭?とした
ヒーローを現代的再解釈し相対化した作品群のことを言っていると仮定します
ここでそういったヒーローの描き方の是非に関しては置いておくとして
果たしてヒーローが正義を行使して、その見返りを受けることはいけないことなのでしょうか
ここでヒーロー映画の決定版サム・ライミ監督の『スパイダーマン2』を例に出してみましょう
(見ている方は読み飛ばしてください)
主人公のピーター・パーカーは、人間とヒーローの両立に耐えられず、ヒーローの使命を投げ出し、次第に自責の念に駆られだします
そんな折、育ての親であるメイおばさんが引っ越しの為に近所の子供ヘンリーと共に荷造りをしている所に遭遇し
ヘンリーはピーターに「スパイダーマンはどこに行ったの? きっと帰ってくるよね?」
と訪ねますが主人公は「知らない」と答えます
落ち込むヘンリーを見てメイおばさんは主人公に話します
『そう、ヘンリーのような子には、ヒーローが必要なの。勇敢で自分を犠牲にしてまでも、みんなの手本となる人。誰だってヒーローを愛している。
その姿を見たがり、応援し、名前を呼び、何年もたったあとで語り継ぐでしょう。苦しくても諦めちゃいけないと教えてくれたヒーローがいたことを。
誰の心の中にもヒーローがいるから、正直に生きられる。強くもなれるし、気高くもなれる。そして最後には誇りを抱いて死ねる。
でも、そのためには常に他人のことを考え、いちばん欲しいものを諦めなくちゃならないこともある。自分の夢さえも。
ヘンリーはその気持ちを教わったから、スパイダーマンの行方を聞くの。彼には必要だから』
主人公はこの言葉で再びヒーローへと目覚めます
なぜヒーローは苦しくても戦うのか、なぜそれを人々は応戦するのか
主人公、そしてこれを見ている人への最も誠実な解答ではないでしょうか
そしてこの後、ブレーキが敵に破壊され暴走する電車を文字通り身を挺して止め、気を失うスパイダーマン
倒れそうになる彼を支える電車の人々
素顔を見られ焦るスパイダーマンだが『誰にも言わないよ』と優しく言い、子供にマスクを差し出され立ち上がるスパイダーマン
しかしこの映画で示される『ヒーロー』とは
ヒーローは人々に善の規範、象徴として唯一無二の力を行使し、街と人を支え
人々はヒーローを応援し、手を貸し、ヒーローをヒーローたらしめる象徴として街とヒーローを支える
互いに支え合っているということです
確かに荻野ケン先生の言いたいことは、正義とは無償であるべきということは理解できますし強くうなずけます。
そして『金』という要素で古典的潔癖性のあるヒーロー象が惜しくも崩れてしまう、ということなのでしょうが
しかし職業ヒーローといった作品が描こうとしてるのは『金』の部分なのでしょうか?
どの作品も現代的再解釈を用いて、メタ視点での物語を通して伝えたいことはヒーローの普遍性であり自己犠牲精神なのだと考えます
切り口が多種多様になり、無条件で信じられるような存在がいない今だからこそ、ヒーロの重要性を語るにふさわしいのではないのでしょうか