雑食ふしあな雑記

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JOKER  喜劇で終わらせてはいけない

まず自分の中のジョーカー観について触れておく必要がある

 

彼はあくまで混沌という概念であり、バットマンを映す鏡でもある

 

これが私の中のジョーカーだ

 

決して人間であった時や、素顔などはない

 

 

もちろんこれまでいくつかジョーカーのオリジンが描かれたことは知っているし、概念的な描かれ方をしたのも最近であることも理解している

 

 

 

そこでこのJOKERが制作されると知ったときは、失敗続きのDCが完全にキャラクターパワーに頼ってまた失敗する。ジョーカーのオリジンだけに注視するのは間違っている

 

 

などと思っていたが、既に見た方であればわかる通り

 

 

これは決して「ある男がいかにしてジョーカーになったか」を描く映画ではない

 

非常に身近な現実でいくらでも起きうる、現在進行形で起きている

である

 

例えこの映画をトランプ政権下でのアメリカであるとか、パンフレットにも書かれているような堕天使であるとか

 

もちろん自身の言葉に説得力を持たせる材料として持ち出すことは出来るが

 

ジョーカーの持つ本質は普遍性を持った狂気だ

 

例えこれが社会を形成しきる前の縄文時代であろうと、遥か先の未来でもあろうと

 

 

全時代に同時に存在しうるものこそがジョーカーだと信じている

 

そしてその神にも等しいモノが自分と取って代わろうとしてくる

 

だからこそ、その神に負けてはいけない

 

決してこの映画を恐れるところで打ち切ってしまってはいけない

 

恐れにマスクを被せるのだ