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JOKER  ラストシーンの本当の意味とは 

 

 

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前回書いた記事では、見たほとんどの人が圧倒されるだけに留まっていた人が多いためのものだったが

 

今回は演出面などの話をしたい

 

 

まず皆混乱し、答えを求めているアーカム内でのカウンセリングからの

 

 

The End

 

あのラストはもちろん序盤のカウンセリングと対になっている

 

真っ黒で本や書類が山積みになって閉塞感のある部屋

 

真っ白で机と椅子しかないすっきりとした部屋

 

苦しそうに笑うアーサー

 

楽しそうに笑うジョーカー

 

ここに時系列などない、すべてはジョークだから。というのは簡単だが一つ明らかになっていることがある

 

 

 

ジョーカーはキリストであるということだ

 

マレーを射殺しパトカーに乗り、衝突事故で一度死に蘇り

その後、非常にわかりやすく両手を広げて人々が群がる

 

これ以上分かりやすい見せ方もないだろう

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(映画内でもこの絵同様、右手は上げている....というのはこじつけがましいか)

 

 

つまりあそこでアーサーは完全に消えてジョーカーという神になった

 

ということはだ、アーカム内で楽しそうに笑って最高のジョークを思いついている

 

あれは紛れもなくジョーカーなのだ

 

 

 

ここで少し話をずらして

 

よく言われている”優しい男アーサー”

 

これにも疑問がある

 

 福田理香先生のフード理論だ

 

彼には意図的に何かを食べるシーンが排除されている

 

処方されている薬でさえもだ

 

薬のフタを開けるとカットを割って母親に食事を運んで、食べている間隣に座ってテレビを見ている

 

彼は本当に薬を飲んでいたのか?

なぜ薬を開けた瞬間母親の料理を映す...?

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また、彼が唯一口にするのは煙草の煙のみだ

 

煙と言えば昔から悪魔の象徴であり、日本で言うところの「霞を食う仙人」にもなっている

 

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 (彼はクレソンを食べるが、メフィストフェレスでもありゾルゲでもあるので問題はない)

 

 

またゾルゲ自身も、どこかニコルソンジョーカーに似ている気がしなくもない

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それは置いといて

 

 

 

はたして、アーサーがコメディアンを目指していたのは人を笑わせたいからか?

 

彼には一般的な笑いが理解できない、だから過剰な作り笑いで周りと合わせようとしている

 

つまりこの言葉はあまりに陳腐で使いたくはないが

 

いわゆる”承認欲求”を満たすための手段としてコメディアンを目指している

 

ならばジョーカーになるきっかけは承認欲求だったのか?

 

それも違う

 

これは監督のトッド・フィリップスが自身の作品「ハングオーバー!」が今や差別的であるという批判を受けるため、コメディ映画を止めざるを得なかったという旨をインタビューでこう答えていた

 

「このごろのウォーク・カルチャーの中で、笑いを取ろうとしてみましょうよ。“もはやコメディが成立しないのはなぜか”という記事がいくつか出ていましたが、僕からすると、それは、めちゃくちゃ面白い人たちが“やってられない、誰かを怒らせたいわけじゃないし”という感じになっているから。Twitterで3,000万人を相手に議論することは難しいし、そんなことはできない。でしょう? だから“僕もやめよう”と。僕の作るコメディは――すべてのコメディにそういう面はあると思いますが――不謹慎なもの。そこで、どうやってコメディ以外の方法で不謹慎なことをやろうかと考えたんです。」

theriver.jp

 

ならばこれはアメリカンニューシネマの皮を被ったコメディ映画と考えるのは自然だ

 

となると、笑いの対象にしているのは、再誕し承認欲求が満たされたジョーカーを見て気を良くした観客なのではないだろうか

 

その構造自体が最高のジョークだろう

 

 

つまり、映画のシーン通り時系列は進んでおり

 

 

最後のアーカムのシーンはバットマンに掴まってアーカムに入れられた後なのかもしれない

 

そして自身が生まれたと同時に、バットマンも生まれたことに気づく

 

 

だからこそ他人には理解できない最高のジョークだ、と言って幼少期のブルースのフラッシュバックが入ったのではないだろうか

 

もちろんこれが正解だとも間違いだとも誰にも言えない、監督やホアキンにさえ

 

 

ただ自分の中でこの映画を落ち着かせるのであればここが最も居心地のいい結論としておく

 

 I just hope that my death makes more cents than my life