ジブリパーク 勝手にやってろ
ジブリパークが2022年に開園予定と発表され、あまりにも皆浮足立っているので、
ここに大きくも重い”真実の釘”を打ち付けておきたい。
というのもジブリとは、
高畑勲が自分の好きなだけ金と時間を使い、常人には一切理解できない常に革命的な映画を作るため、宮崎駿がそのケツを持ちながら自分の家を抵当に入れ、大衆にヒット作を作らなければいけない。という大前提に常に高畑勲への挑戦を行う、修羅の場所であった。
また、東映の労働争議から学んだアニメーターを固定給で雇うという鈴木Pとの誓いの下に生まれたスタジオでもある。
そして宮崎駿は決してディズニーのような資本主義に飲み込まれてはいけないとも常々思っていた。
しかし、高畑勲という神的な存在によってかき乱されるジブリの懐事情により、決して手を出してなるものかと思っていたグッズ制作に手を出さざるを得ず、一歩ディズニーへと近づいてしまったことを宮崎駿は自ら立てた誓いを守るべく、苦々しく受け入れた。
さらに言えば、国民の半数以上が勘違いしている「宮崎駿は自然が好き、エコロジーが好き」という間違った作品解釈が、このジブリパークには強く反映されている。
当然、そこで宮崎駿の真の心根をジブリパークに反映すれば兵器と少女で埋め尽くされ、まさに地獄絵図となるだろう。
しかし宮崎駿は自分の我よりも、まずはヒットを念頭に置く、実にクレバーな監督でもある。
一般大衆が自分の張ったオブラートだけを舐めて「甘い甘い」と喜んで帰る”客”には、ニコニコ見下し笑顔で見送ってくれるだろう。そしてその中にある苦く、しかしそこにこそある良薬を知っている”観客”に対しては、ニヒルな笑顔で腕を組みドヤ顔をしていることだろう。
そもそもディズニーランド自体もまた映画の製作費が日ごと増し、制作期間の収益を出すための資金繰りとして生まれたものではあるが、ウォルトはそこに「俺の好きな乗り物博」が出来るという、資本主義と魂の両立が出来てた(今は違う、特にあのテディベアfuck!)
つまり、22年に誕生するジブリパークは魂なき、資本主義だけが独り歩きした、テディベアだけのディズニーランドだ。
当然それを良しとして、喜び勇んで開園初日には、まさにムスカが言うところの「ゴミよう」な”大衆”が詰めかけるだろう。
それを一番良しとしないのが、ジブリそのものである宮崎駿と高畑勲だというのに....
Fuck'n資本主義! Fuck'nディズニー!