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クリエイターによる修正と後付けの是非  わたモテ17巻を読んで

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」以下”わたモテ”

 

という、所謂”女子高生の日常もの”の変化球的な位置づけの漫画にハマっている。

 

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 わたモテとは

 

高校生活に馴染めず、孤独を感じている「喪女」(モテない女性)の女子高生の日常や、彼女が他者と繋がろうとおかしくも切ない奮闘をコメディタッチに描いた作品。また、登場人物が増えるにつれ、主人公の主観劇だけではなく女子高生たちの微妙に噛み合わない日常を描く群像劇としての側面も強くなっている。 wikiより抜粋

 

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ただこの漫画はそういった展開や、卒業に向けた伏線などの他に

 

台詞では説明されない感情や思考などが、巧みな表情演技や前後の文脈によって表現される漫画的な手練手管。ゆえに非常に読みがいのある作品だ。

 

 

 今回の問題点

 

主人公が三年生になり、甲子園の時期。

 

母校が試合に負け、マネージャーなどが泣く様子をスタンドから見る主人公。

 

(web連載版)

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よく見ると左目に涙が浮かんでいる(ように見える)

 

であればこのセリフの無いコマの解釈は

 

いつの間にか手にしていた青春、しかしすぐ傍では青春の終わりを迎えた野球部が。

それを見て、いずれ自身にも訪れる終わりを感じ取り、これまででは考えられなかった”野球部への感情移入”で涙が滲む。

 

こんな所だろう。

 

これまで10数巻を読んできた読者としては、あの主人公がここで泣くとは!という成長と同情が入り混じる名シーンだ。

 

ここで私は心を、いや魂をギュッと掴まれてしまい、毎月の更新を半狂乱で待ちわびるようになってしまった。

 

 

 

しかし

 

(単行本)

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よく見て欲しい、主人公の左目には涙らしきものが消えている。

 

 

つまり作者としては、あの涙のような線は作画ミスであり、主人公はここでは涙していない。ということだ。

 

 

この後、友達が帰ろうとすると(厳密に言えば違うが割愛)

「終わりたくない」という気持ちから、初めて主人公が友達を引き止めて同じ時間を

過ごそうとする。という展開は変わらないのだが。

 

 

しかし、ここで「涙を浮かべる」という描写に心を掴まれてしまったファンとしては、その感動やキッカケを作者自身によって否定されたことになる。

 

またその涙が何かしらキャラクターや物語に揺らぎを与えるのであれば納得がいくが、この修正での変化は、エモーショナルの減少だけだ。修正の意図が読めない。

 

 

また、単行本時による変化はそれだけにとどまらず

 

 

まだ主人公が満たされるより以前、文化祭で一人腐っているところを着ぐるみ姿の生徒会長が抱きしめ、それから一年後の卒業式。生徒会長が「もう一度抱き締めておこうかな」と言い、その意味に後から気づき涙してしまうという感動のシーン。

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しかし単行本にだけ掲載される短編において、生徒会長が飼っている犬が主人公と似ているということが判明した。

 

つまり生徒会長が一人ぼっちの主人公に優しくしたのは「飼い犬に似ているから」という余計な意味合いが足されてしまった。

 

これは非常に大きな後付けであり、例え作者が最初から設定していようが、読者が知らなければ後付けとなってしまう。

 

 

 

悪名高き前例

 

こういった事象には有名な前例がある。

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 そう、STARWARSだ。

 

 

このシリーズもまた作者であるルーカスによって、一般に公開され、数多の人生を変えた後に、自ら手を加えていった。

 

本来そこには必要のないセリフ、フォースと言う神秘性に「ミディクロリアン」という細胞の存在を理由付けし、多くのファンから大不評を呼んだ。

 

 

 

 

改めて考え直そう

 

 

そこで改めて考えなおしたいのは、既に世に放ったものに修正や付け足しを加え、それこそを聖典するのか。ということだ。

 

 名作というものの多くは、欠点や解釈の幅があるものだ。受け手はそれを埋めようと何度となく見返し、カルト作品となっていく。

 

しかし、そういった穴や幅を作り手が不明慮な意図によって埋めてしまえば、それだけ魅力は目減りしてしまう。

 

それどころか作り手に対して小さくはない不満や疑心を生んでしまう。

 

ならばせめて作り手がなぜ修正し、付け足したのか。という理由などを提示するべきだ。

 

たとえそれがファン個人の納得のいかないものであろうと「俺の、私の作品だ」と押し通して欲しい。

 

それが創造主に課せられた責任だ。

 

 

 

(またルーカスにおいては、そういった個人の自由が確立されたものを目標としてスターウォーズを生み出しており、それが広く認知され始めたため、なんとか納得しているファンも多いだろう。)

 

 

 

 

 

最後に

 

今後も「わたモテ」に対する興味や愛は変わらずとも、大きな不信と傷をおったことは確かだ。

 

 そしてファン間での会話で、この件に苦言を呈し続けるだろう。それは愛憎であり、独自の視点を持つことの優位性の確保でもある。

 

 

 

 

私はユダになるしかない。神を信じるがゆえに、神を裏切ろう。