「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」をどうして好きなのかを再定義!
略して「わたモテ」
大前提としてこの作品がどういう漫画なのかの説明と魅力の説明はこちら
そして今回は、なぜ二次元にそこまでのめり込まない自分が何故ここまで一つの漫画に入れ込むのか?それを自問自答するそんな記事。
前提
前回のわたモテ記事で書いたかもしれないが、かつてクロに友達が出来始める8巻までは興味なく、また百合展開そのもの自体も一つの導入になったとはいえ、さほど重要視はしていなかった。(今では全部が愛おしくて仕方ないけど)
また好きなフィクションのキャラといえば、と想像して真っ先に出てくるのは
アントン・シガーや、ハリー・キャラハン”だった”
そんな”自分はちょっと違うぜ”と思いあがってるイタイ系オタクにさらに「わたモテ」により今やキモオタ要素まで追加されている。
LIKEからLOVEへ
もちろんキャラクター毎の魅力や主体であるギャグは面白いながらも、何よりこれを書くにあたって思い当たったところをいくつか挙げていく。
- 「ゴール」が明確に提示されていること。
(一定水準のクオリティと期待値を下回ることのないゴール)
- 主人公へのライド度合い
- 読み返す度の発見や繋がり
これら3つが何より大きい。
ゴールに関しては後述するが、主人公へのライド。つまり感情移入が深くなるのは彼女の高校入学から満たされず作者からも読者からも一種のピエロとしての扱いを見てきたからだろう。
これは間違いなくピカレスクロマンであり、そのジャンルのいわゆる基礎点があり、面白くないわけがない。
そうして何度も読み返す内に自分の中でパッケージとしての完成度が高まっていくと、次第に俯瞰していたはずがシッカリとキャラクターにのめり込み、気づけばTwitterで気持ち悪いことを言い出すわ、ぬいぐるみまで予約する始末。
(これが噂に名高いオタク税....)
時代性
さて、 いわゆる「なろう系」に対する嫌悪感とそのコンテンツによる功罪はかつてこのブログで書いたので割愛するが
人気を博した「鬼滅の刃」でも見受けられた、努力の最小化(技習得)
つまりは段取り、疲れる、美味しいとこだけ。的な現代社会の病理といって大げさでない問題を「わたモテ」は偶然とはいえ
何故あの独りよがりで空回りばかりしていたクロが徐々に周囲を蠱惑し友達を増やしていったのか。というロジカルな手順を踏んで願望の成就を遂げている。
また「インターステラー」や「君の名は」で共通して語られていた、みんながソーシャルや個人で完結し、何かを省いたり積み重ねの拒否する。
そこから人間関係から直接出会い交流し、生身を求め合う必要性も必然性も
この「わたモテ」ではしっかりと描かれている。
オレポイント
※ここは非常に個人的な問題なので飛ばしてOK
先ほど挙げた「ゴール」これに関しては
我々オタクは昨年「アベンジャーズ」でフランチャイズ映画シリーズ史上、今後も超えることのできない完璧な大団円を迎え天に昇り....
そして「スターウォーズ」で地獄へ落ちた。
さらにはネットフリックス限定ドラマの「ハウスオブカード」もまさかの主演降板によってファイナルシーズンは主人公不在の最悪のラストに。
また日本産ドラマで多大な期待をしていた「あなたの番です」も最終回は倫理的にも酷いものに....
アニメにおいてはトリガーの「プロメア」「BNA」も、どうしてもガイナックスに居た頃からはターゲットやしがらみによる問題があまりに表面化したこともあり、不完全燃焼に終わった。(SSSSグリッドマンはスタッフのオタク強度が濃すぎたせいでキャラクターの心理を描き忘れるという致命的なプロットの問題があったように思う)
そんなわけで入れ込んで見ていたものの殆どが悲惨な結果に終わり、精神は非常に参っていた。
一体誰が自分を抱きしめてくれるんだ?ミッドナイトゴスペルは深く刺さったが高尚が過ぎて長居できない....
といった具合で温かく壊れることのない、結婚を前提とした長期交際の相手を探していたところに「わたモテ」が、クロが流浪の自分を抱き留めてくれたのだ。
最後に
全部でっち上げです。
今思いついたそれらしいことを、わたモテ更新まで時間ちょっとあるし書いてみるか。ってなもんです。
とはいえ、なんで好きなのか。ということを友達や知り合いに話したところで長くなるし、この「好き」は非常に個人的な経緯で生まれたものなので、あまり押し付けるのもよろしくないと思い、ここで吐き出しました。
早くクロのぬいぐるみ届かないかなぁ...
8巻から再アニメ化しないかなぁ....
更新した瞬間トレンド入りするぐらい人気.....になると変なファン増えるから、それはそれで困るなぁ...
悶々