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「鬼滅の刃」幾度と続く回想を超えた先には ノれないならこれを読め!

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 初めに

巷で大流行の「鬼滅の刃

 

私はアニメ化された際に読み始め、そしてつるべ打ちのように繰り返される鬼と邂逅→戦い→回想にうんざりしながらも何だかんだでその時点での最新刊まで夢中で読み、そこで止まっていたのですが

 

まぁ面倒な自意識なもので、あまりにメディアで取り上げられると、どういうわけか何だか気に入らなくなり、楽しんで読んでいたにもかかわらず「回想がー」「呼吸とか型の習得ちゃんと描けよ!」とか嫌なところばかりが頭をよぎる。

 

しかし様々なところでヒットの要因やら何やらが語られる中、最も確信を突き、その膨大な知識量で解剖していった「山田玲司ヤングサンデー れいとしょう」において

 

きたがわ翔先生が解説された少女漫画による影響や、玲司先生のクロニクル視点などで非常に飲み込みやすくなり、そこで自分の大きな過ちに気づき、急いで最終話まで追いかけた。

 

 

大きな間違い

そう私は読む事前の姿勢から間違っていた。

 

週刊”少年”ジャンプに連載しているからと言って、その掲載作が少女漫画であることを考えていなかった。

 

 

そう「鬼滅の刃」は少女漫画として読めば、まったく違和感なく楽しめた。

 

 それは回想やモノローグ、それまでの流れがなくとも最後にはキャラクター同士がくっつくことまで。

 

そしてラスボスが毒=女の執念によって倒されることも、すべて少女漫画として理解すれば問題なかった。

 

 

もちろんこれは少女漫画に対するdisなどではなく、男と女の決定的な違いによるものであり、最初から「これは少女漫画フォーマットですよ」と作中でわかりやすく示されているにも関わらず、その注意書きを読み飛ばし少年漫画スイッチのまま読んだ自分が悪い。

 

緑壱のくだりは結構ジーンと来て目頭も熱くなったことをここに書き記しておきたい。

 

 

ヒットの要因とマーケティング

なんてことを書くやつは大体怪しかったり、スノッブを効かせて訳知り顔をしたい輩が大半であることを知っているし

 

何よりマーケティングなんてものはアテにならないことが多い。

E.T.は公開前、マーケティング部ではあんな気持ち悪い宇宙人がメインなんて売れるわけがない。と予想していたにもかかわらず大ヒットを記録している)

 

ではなぜここまでのブームを巻き起こしたのか、その着火元はなんだったのか。

 

それは80~90年代、幼少時から少女漫画を読み

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0~10年代にジャンプのホモソーシャル要素でも大きくヒットしたNARUTOBLEACHなど

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それらを読んで影響を受けてきた作者自身と、それらを愛読していた読者ががっちりとハマったのは間違いない。

 

そこに特別な血筋、大正、剣士とくればそれは誰にでも一定の面白さを保証してくれる”定番の奴”という盤石の布陣が完成する。

 

もちろん編集部によるヒットするための路線づくりの形跡は1話からあるが、なにより作者自身の趣味が素直に日本中にハマったのは間違いない。

 

 

 

個人的に好きになった要因 ※ラストネタバレ

最後に無惨と炭次郎達を決定的に分けたのは

 

繋げようとする者

 

個体への執着

 

この違いでありながら、自己完結しようとしていた無惨が最後には繋げようとした....

と見せかけて鬼が象徴していた過去や執念や老害的なものを炭次郎に負わせようとしただけに過ぎなかった。

 

 という構図は非常に良かったし、それが技を繋げて舞い続けることと、現代へ輪廻転生することと重なる作りは見てて腑に落ちた。

 

 

とはいえ

下弦の鬼一斉処分や、無限列車で「それでも現実と向き合う」という展開は最終盤に持ってきた方が燃えるのに勿体ないとか、最後の戦いに禰豆子は寝てるだけだったり、珠世の掘り下げもっと欲しいとか

 

技を繋げることがテーマに沿う作りなら、もっと技の解説とか意味を明確してくれないとノれないなどいろいろあるが

 

しかしそういった切り捨てられた必要だった部分などがファンの間で議論を巻き起こし、それぞれが自己解釈で愛を深め、結果作品がカルト化していくには欠かせない要素となっている。

 

 

最後に

夢中で読む→引っ掛かりがあって距離を置く→視点を変えて夢中で読む

 

まさに廻って繋がった結果、最後には好きになったおかげで、両側からの視点を持つことでより作品への理解が深まり、スイッチを切り替える判断の意識というものも新たに身についた。

 

サンキュー鬼滅の刃