Netflix「悪魔はいつもそこに」 芸の肥やしって凄い!
※今回は映画自体よりも吹き替え演技についての話
9月16日 本日配信の「悪魔はいつもそこに」
(原題:The Devil All the Time)
映画自体は「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」のもっと単純版という印象。
映画自体は緩急あってそこそこ楽しめたんですが、今回は珍しく吹き替えで見て驚いた。
ロバート・パティンソン演じる、田舎で結婚している身でありながら若い女を神の名の元に孕ませ捨てる神父役が素晴らしかった。
もちろんパティンソン自身の演技もさることながら、吹き替えの櫻井孝宏の演技がアニメやゲームの演技よりも自然で、真に迫っていた。
もちろん声優業界の男は若手を食い何股をし、女性は枕営業があるというのが、もはや噂では留まらないほど各所から漏れ出ているわけだが、そんなことはどうでもいい。
我々は作品にあった演技さえしてくれれば、悪逆非道で女を泣かせようが、既得権益のおっさんに抱かれていようがどうでもいい。
(ちなみに特定の声優個人に対して愛も憎しみもなく、むしろ無関心です)
ただそんなことより今回大きな発見をしたのが、かつては芸能世界で当然のごとく言われていた「女遊びは芸の肥やし」というようなものは、悪辣でくだらない言い訳だと信じていたのだが、それは間違っていた。
ロバート・パティンソンの演じる最低最悪の神父は銃を突きつけられてもなお、悪びれず女のせいにする。
映画には偶に出てくるクソ野郎の典型のようだが、他で聞く演技はもっと戯画化されわずかなりとも誇張されているものだが、今回はまるでそう感じさせない
何か一つ上の説得力が乗っかっていた。
(一応弁解しておくが、その吹き替え声優の素行なんて知らず、このブログを書こうと思ってから初めて調べるとまさにビンゴといった感じ)
まさに今回はその女遊びは芸の肥やしとなっていた...
つまり、やはり演技をする上ではそれに近い実体験や共感、ある種のメソッド演技というものは演技力を格段に向上させるのだということを実感を持って知れた。
あとセバスチャン・スタンはアイ、トーニャの時も驚いたけど、今回もまた別人のような役作りによる体型変化は驚きました。
役者ってスゲー!!