映画から見るポリティカルコレクトネスの是非
映画界に大きな潮流を生み出した稀代の映画監督
ジェームス・ガンがTwitter上で10年前に児童性愛、レイプに関しての非常に下劣な
ジョーク
を言ったことを親トランプ派によって(大まかに言うと)掘り起こされ騒ぎ、これにより
ディズニーの上層部のみ
の判断によって解雇されてから既に数週間が経ち今やっと落ち着いて物事を捉えられるようになりました
(先に言っておくならば彼は下劣なジョークを早い段階で謝罪し、なぜそんなことを呟いてしまったのかの弁明をしています)
この件で役者人や直接関わりのない人々がこの件に言及する中、著名人の中では一人として復帰させようとする動きは取っていません
これは誰にも文句は言うことができないこと、そして個人の、それも日本から何とかしようとしても手の打ちようがありません
というのもジェームス・ガン本人がこの件をただただ静かに受け止めているからです
だからこそ彼によって見いだされハリウッドスターの最も輝ける役者の一人となったクリス・プラットはただただ聖書の一説を引用するに留まってます
ここで「酷い」「復帰させて」と泣き崩れることは容易ですが、当の本人は受け入れているのですから
我々ジェームス・ガンの魂の家族として二度とこのようなことが起きないようにしなければなりません
では何がこの事件では何が良くなかったのか、これが問題です
私は大きく二つ取り上げられると思っています
ポリティカルコレクトネス (以下PC)
トランプ政権
トランプ政権と書きはしましたが、これは丸々「差別」と言い換えることもできます
差別をしないように生まれたPCが差別主義者によって悪用されたのです
今までPCは映画界に置いてあまりいい効果を出していませんでした
当時の時代設定でインディアンを「先住民族」
黒人を「アフリカ系アメリカ人」
自立した女性像を描く際「女は家事と育児だけじゃない」という流れとして不自然な
説明セリフ
など重箱の隅をつつかれ、抗議やデモなどが起きないよう
「この車には赤ん坊が乗っています」というシールをフロントガラスからリアガラスにかけて何枚も貼っているのです
それじゃ逆に邪魔になってない?危険じゃない?そうです、これでは物事の本質が見えてきません
それどころか「じゃあこっちが煽り運転するって決めつけかよ」と反感を買うこともしばしばあります
しかし今これを止め、それについての映画のみで描こう。というのはマーケティング上できません(マーケティングが今の今まで正しかったことはありませんが)
もし女性が出ていれば言葉として自立した人間であることを言い、かつて差別されていた人種がいればそれに対して「差別していないよ」と言わなければならない
これは暗黙のヘイズコードを再び制定してしまったこと同義です
これほどまでに規制をかけているにもかかわらず未だ差別の根強いアメリカではこれを廃止することはできないでしょう
そもそもPCは本来正しいものです、しかし使い様によっては上記のように不必要なものでありリスクマネジメントのために過剰使用され、広まり悪の手に渡ります
奴らに成り得る子供達を公平にするもののはずが、被差別の歴史を持つ人々に不快な思いをさせないためのもののはずが
差別をし扇動するものの武器となり、その武器はジェームス・ガンを襲い差別主義者の成果として今こうして世間を賑わせてしまっています
ならば我々は明確な悪に対して取るべき行動は、これに屈さずせめてディズニーには「過剰である」という声を上げ
万人にある差別を意識を
これを読んでいる貴方にも必ずある差別意識を失くしていく他ありません
これだけしかないんです。数少ないヘイトに対して取れる善なる行動はこれだけです。
もし叶うのであれば、似た境遇でありマーベルの顔でもあるロバート・ダウニーJr.
が指揮を執ってこの問題を解決し、おそらく「もう大丈夫だよ」というガン監督を連れ戻してくれることを願います
We are Groot