トイストーリー4に足りなかったこと、ラセターなら出来ていたこと 喰らえこれが真のトイストーリー4!
今作で何が問題だったのか
「優しくて 頭がよくって、でも ウッディの特別なところは…彼は絶対に君を見捨てたりしない
彼はそばにいてくれる、どんなことがあっても
大事にしてくれるかい?」
アンディはこう言ったんだ....彼だってずっとウッディと一緒に居たかったんだよ!!
しかもアンディが子供の時から別れの時までを映画冒頭で振り返るが、ボニーはウッディを物置に入れっぱなし、埃をかぶっている
ラセターの影がちらつくウッディを
消したいんだろう?
それならせめて上手くやるべきだった
トイストーリー4はこうすればよかったんだ
ウッディはボニーに遊ばれても満たされない、なぜなら自分の子ではないからだ
そういった段階を踏まえてフォーキーとの出会いを描く
しかし自分の存在意義を見つけられないフォーキーがボニーにとって大切であるということに気づくのがあまりに早く、ただ口頭でしか示されない
あれはウッディの必死の行動、そして後述するギャビー・ギャビーとの関係性で
フォーキーがセリフでなく映像として自身の存在意義に気づくのだ
そしてフォーキーがボニーに最もふさわしい親として遊ばれるシーンは絶対に必要だった
アンディと約束したのにウッディを適当な扱いをするボニーならどうせ数か月後には飽きて捨てられるだろうけどな
この辺りも本来であればしっかりと描かれるべきポイントであるが…
キャンピグカーのシーン同様にゴタゴタしてたんだろうなぁ…あそこはまさに三流脚本のグダグダ展開だ
またバズ・ライトイヤーはフォーキーの為に自暴自棄になって無茶をやらかすウッディを隣で相棒として見て、彼がどうしたいかを次第に感づいていくシーンも必要だ
そして最も重要なのが
フォーキーとギャビー・ギャビーは
合わせ鏡のような存在であるべきだった
本当は自分は捨てられるべきゴミで、でも必要とされたいという互いで補完し合うべきキャラクター造形であるにも拘らず、両者の心の触れ合いもない。
そうして成長した二人のおもちゃを見てウッディは
サウンドボックス=心臓
そして
親としての魂
この二つがそれぞれ継承され、子供たちに遊ばれる姿を見届け
アンディの元へボロボロになりながらも戻り、完全な無機物になりながらも
3のラストのセリフ
「またな相棒」
これを回収して今度こそ完全に締めるべきだった
こうして書きながら、頭の中でトイストーリ4(fan edit ver.)を編集しているだけで涙が出てくる
ありがとうウッディ!ありがとうフォーキー&ギャビー・ギャビー!
二度と帰ってくんなよ!