雑食ふしあな雑記

勢いだけで映画やアニメの話など 

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タコとの友情に咽び泣く男! Netflix限定「オクトパスの神秘: 海の賢者は語る」 

最近何かと話題の「梨泰院クラス」を見るためにNetflixに再加入しまして

 

あと「アンブレラアカデミー」も見て、どちらもそこそこ楽しかったんですけど....

 

 

何よりも心打たれたのは

 

「オクトパスの神秘: 海の賢者は語る」

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南アフリカの沖にあるケルプの森(こんな感じ)

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ここに住むメスのマダコと、人生に疲れた男が少しずつ関係性を築く過程を映した長編ドキュメンタリー

 

 

 

もちろんタコの豆知識やその生態、知能の高さなどの”情報”の面白さも多いのだが

 

 

何よりも、まるで「ヒックとドラゴン」のように少しずつロジカルな段階を踏んでいき、次第に異種間での友情と触れ合いが構築されていく光景に

 

見ているこちらまでタコとの間に友情さえ感じるようになる。

 

サメに襲われ、触腕を失った時などは辛くて見ていられない....

 

 

画が綺麗なのはもちろん海の中の様々な生き物、タコの習性や狩りの光景を見るにつれどんどんと没入していきながら、大いなる自然のライフサイクルに心打たれていく。

 

 

 

 

この映画はタコの最期までを追っていくのだが、日が開いて海に潜ると我々のマダコにはいつの間にかオスが擦り寄っていたという……

 

まさかまさかのNTR展開に、すっかり想いを寄せていたこちらとしては心の底から落ち込んでしまう。

 

あんなに触れ合って、心通わせたのに....

 

 

しかしタコの生態を知らなければ、その後に待ち受ける展開に私は気づけば涙していた。

 

 

それとまた同様に、そうして続いていく自然世界の成り立ちを深く心に刻むこととなる。

 

 

特に素晴らしいのはタコと絆を深めていくクレイグの息子が"ある小さなもの"を見つけた時

 

この瞬間に涙がポロポロと……

 

これは、そう

 

「倒れていったものの願いと、後から続くものの希望!二つの想いを二重螺旋に織り込んで明日へと続く道を掘る!」

 

こうですよ。

 

 

 

 

なにがだ。

 

 

 

とにかく自然系のドキュメンタリーで、しかもタコを想って泣くことになるとは夢にも思わなかった。

 

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「ぼくらのウォーゲーム」40分間で全てを見せる細田守の最盛期

あれは私が幼年期のころ。

 

VHSを幾度となくレンタルし、食い入るように見ていた。

 

 

99年より始まったTVシリーズ デジモンアドベンチャーの劇場版第二作

 

デジモンアドベンチャー 

       ぼくらのウォーゲーム!」

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あらすじ

簡単に内容を振り返ると、1年間のTVシリーズの物語が既に終わった”成長後”の物語

 

デジタルワールドから子供達が帰ってきて数か月経った2000年の春休み。突如ネットに出現したデジタマから生まれた新種デジモンは、ネットに繋がるコンピュータのデータを食い荒らし、様々な機関を暴走させながら急速に進化。

世界を混乱に陥らせる謎の新種デジモンを止めるため、事態に気づいた太一、光子郎の二人は選ばれし子供達を集め、再び戦いへと乗り出すことになる。(wikiより)

 

たった40分

まずこの映画の驚くべきところは、上映時間40分という短さである。

 

もちろんTVシリーズからの続編ということで各キャラクターの説明や関係性を0から描く必要がないということもあるが、例えTVシリーズを知らずとも自ずとわかるようにも描かれている。

 

だからといって、全く同じプロット、時間でこれほど絶妙な静と動、起承転結、そして大人から子供まで楽しめるよう作れるかと言われれば非常に難しい。

 

 

 

元ネタ

タイトルにもあるようそのまま「ウォーゲーム」や、

動き出した核兵器を止めるため右往左往する「博士の異常な愛情」などはわかりやすい。

 

劇判にも「博士の異常な愛情」でも使われていた「ジョニーが凱旋するとき」のアレンジや、クライマックスにかかる曲は細田守の要望によりG・フォーレのレクイエムを意識的されている。

 

しかしそれはあくまでも大人が見て反応する程度に抑えられており、ここにおいても知らずとも一切問題はない。

 

 何よりも言いたいこと

 なぜ物心ついた頃から今に至る20年ほどの間で、飽きもせず見れるのか、そして愛してやまないのか。

 

それはクライマックス

 

劇中、主人公達をネット越しで見ている世界中の子供達の応援メールによって回線に負荷がかかり、主人公たちは絶望的な状況に陥るが一転して奇跡が起きる。

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子供のころはあくまで負けるための都合のいい転落、子供向けの都合のいい奇跡だ。とそう思っていた。

 

しかしこれは違った。

 

何か大きなことを成そうとするとき、多くの人がそれを注目し、ありとあらゆる声が届く。

 

当人にとってそれは応援であろうと批判であろうと重荷となり、起き上がれないほどに打ちのめされる。

 

しかし!!

 

そうしてどん底に落ちたその時に自分を立ち上がらせてくれるのは、人々の声であり自分を顧みない覚悟である。

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人々を守るのがヒーローであれば、ヒーローを守るのは人々である。というオールタイムベスト

スパイダーマン2」でも訴えていた絶対的に正しいテーマだ。

 

子供向けの奇跡にも見えながら、何よりも誠実で2000年の作品であるにも関わらず、まさに今のSNS社会にも非常に重なる。

 

つまりは時代を問わない普遍性を持つのだ。

 

 

 

ポケモンへのアンサー

当然デジモンというコンテンツは「たまごっち」や「ポケモン」のヒットからの流れであるのは周知であり、当時の大人たちが”偏見”としてよく口にしている

 

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「行けピカチュウじゃねぇよ!サトシお前が行けよ!」

 

(私はミュウツーの逆襲でのサトシの行動を知っているためそうは思わないが)

 

そういった世代批判には既に2000年という大きな節目で既に答えを提示している。

 

それまでは画面越しで自分のパートナーに指令を出していた主人公たち自らがネットの中へと入り、満身創痍のデジモンに寄り添う。

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このアイディアは初期にはなく、当時の東映社長 泊懋氏の意見によるもので、細田監督は当初「主人公たちが中に入っても何もできない」と反対していたが次第に「一緒に居ることに意味がある」と気づいたという。

 

トイストーリー1作目においても最後に犬の鳴き声で終わるはずが、2人のやれやれ顔で終わる。というアイディアを、あの悪名高いマイケル・アイズナーが出したように、名作となる要因の裏には社長の一言があるのは感慨深い。)

 

つまり自分は安全圏の場所で、他力本願的に何かを使役してゲーム感覚の充足感を得る。という欺瞞的な構造から、自らの身も危険にさらすことによって精神、テーマは画面で起きていることと同様に

 

 

 

                

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これを果たすわけである。

 

 

最後に

どうだろうこれだけのテーマを40分で、それも静と動を交えながら描くことが出来るだろうか?

 

もちろんこれだけの作品を今の細田守には描けないし、周囲がやらせないだろう。

 

東映という制作現場、吉田玲子脚本、テレビシリーズの続編という非常に多くの好条件が"合体"して起こした奇跡的な作品だ。

 

この他にも核が落ちてくるタイムリミットが試験終了、ケーキ作りと重なり、劇中でも同様の時間が流れるという巧みな作りなど。

 

映像を流し、ワンカットワンカットを一時停止して誰かと語り明かしたほどだが、今回はこの辺りで。

 

 

 

頼む細田守!帰ってきてくれ!!!

 

 

 

 

 

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 」は逆・桐島、部活やめるってよ。である

ここ数年、風前の灯であった火がネット上でじわじわとその勢いを増している。

 

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」

 

略して「わたモテ」

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待って欲しい!

 

分かる。私も同じように一瞥をくれて二度と会うことのない有象無象の1つだと、そう思っていた。

 

しかしこれは様々な”自分”を露わにし、救済し、そして”世界”へと上がっていく

 

ポジティブな「桐島、部活やめるってよ」なのだ。

 

このタイトルで?このキャラクターで?キモオタ向けでしょ?

 

確かにそういった側面も否めないが、それでものめり込んで、涙し、深い。

 

そんな「わたモテ」の魅力を稚拙ながら紹介していこうと思う。

 

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Netflix限定アニメ「The Midnight Gospel」 これはアニメなのかそれとも...

アドベンチャータイムの原作、監督、絵コンテ、演出、キャラクターデザイン、録音監督、OP作詞作曲・歌唱

 

を務めたペンデルトン・ウォードが送る新作アニメ

「The Midnight Gospel」 全8話

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少年の見た目をした40代の主人公が、多元宇宙もしくは仮想世界にダイブしてその世界に住む生き物にインタビューをし、それをポッドキャストで配信する。というもの

 

面白い設定だが、これは今までになく、そしてこれから生まれることのないただ一度きりの実験的”導入剤”だ。

 

 

今回注意すべきなのは、視覚的に入ってくる情報と耳から入ってくる情報は決してシンクロせず、アニメーションを見れば言葉が飲み込めず、言葉を飲み込めばアニメーションを見逃してしまう。

 

 

というのは主人公の声優であり本物のポッドキャスターのダンカン・トラッセルが

 

現実に実在する薬物中毒に詳しい内科医、チベット仏教徒、元死刑囚など日本人には一切馴染みのない”その筋の専門家”にインタビューをするというものだからだ。

 

 

 

 

話の内容も非常に哲学的であり、ある程度の東洋思想や哲学リテラシーというものを要求されるため、理解するには高い集中力と好奇心が必要とされる。

 

ここである程度の例を挙げていきたいのは山々ではあるが、筆者もまた直感的な理解のみに留まっており、言語化には時間がかかるので割愛するが

 

実存や愛、生と死、悟りなどのテーマなど、普遍的で自身が小学校の頃から抱いていた漠然とした世界への疑問を一緒に考え、どうしていくと楽なのか。という話が主である。

 

 

そして詳しくはネタバレになるため伏せておくが、最終話ではこれまでとは一味違う

ゲストと共に語られるテーマは万人に共通する、逃れえない一つの結末。

 

これに関しては哲学でもなければ悟りでもなく、ただただ向き合うだけで良く、今こうして書いているだけでも涙が溢れだすような内容となっている。

 

 

 

 

ここまで読むと難しい内容で、抵抗感が強まるだろうが、アニメーションが非常に会話らしく、色彩豊かでありながら一種幻覚的な美しさと造形のオシャレさで見ていて飽きない。

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そして話と繋がっていないように見えて、ずっと見ていれば最後に語られてきたことと次第にシンクロしていることに気づき、飲み込むには時間のかかるテーマを見事にアニメーションを楽しみながら噛み砕くことができるよう意図されており、

 

アドベンチャータイムでも時折哲学的であったり、口をあんぐりと開けたまま終わるような話があったが、今回はその延長線上であり、あくまでもエンターテイメントとして成立するようにもなっている。

 

 

 

 

 

これまでの100年、アニメという娯楽はそれを通して様々なテーマを描いてきた

 

しかし、このミッドナイトゴスペルにおいては

 

哲学を通して、アニメという娯楽を描く。という逆説的な手法を取っている。

 

 

 

なぜ自分がいるのか、死という不可知を前にどう心構えをするのか。

 

そんな誰にだって必ず来る疑問と恐怖のため、ミッドナイトゴスペルを見るのは如何でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進撃の巨人 現在予想可能な情報 エレン編

残り10話以内で終わる可能性の高い「進撃の巨人

 

そこで、これまで予想してきたことを纏めておこうと思う。

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  •  前提
  •  解放されたエレン
  •  最後には...

 

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クリエイターによる修正と後付けの是非  わたモテ17巻を読んで

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」以下”わたモテ”

 

という、所謂”女子高生の日常もの”の変化球的な位置づけの漫画にハマっている。

 

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  •  わたモテとは
  •  今回の問題点
  • 悪名高き前例
  • 改めて考え直そう
  • 最後に

 わたモテとは

 

高校生活に馴染めず、孤独を感じている「喪女」(モテない女性)の女子高生の日常や、彼女が他者と繋がろうとおかしくも切ない奮闘をコメディタッチに描いた作品。また、登場人物が増えるにつれ、主人公の主観劇だけではなく女子高生たちの微妙に噛み合わない日常を描く群像劇としての側面も強くなっている。 wikiより抜粋

 

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ただこの漫画はそういった展開や、卒業に向けた伏線などの他に

 

台詞では説明されない感情や思考などが、巧みな表情演技や前後の文脈によって表現される漫画的な手練手管。ゆえに非常に読みがいのある作品だ。

 

 

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1917 ワンカットの良さ最大限

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アカデミー撮影、録音、視覚効果の三部門受賞の「1917」を見た

 

 

 

とにかくワンカットワンカットと話題を呼んでいる今作。

 

「じゃあ、そのワンカットのなにがいいんだ。結局デジタルで繋げてるだけじゃない。」

 

ならば教えましょう。

 

 

第一次世界大戦西部戦線においてドイツ軍の撤退を知り、部隊を進行させるがそれは罠であり、二人の若きイギリス兵を伝令に向かわせる。という話。

 

 

大体の戦争映画って今まで、その緊張感故に中弛みが多く、興味の持続が続かないことが大半。

 

しかしここがワンカットの良さであり、この映画の肝であった。

 

 

というのも登場人物は最小限で抑えられ、ワンカットで追従していく様は、

まるで見ている自分を含めた三人で、前線へと伝令を任せられたかのよう。

 

 

そう、他人事ではなく自分のことのように感じられて一定の緊張感と悲惨さに追われながら向かう様に、気が抜けない。

 

 

常に自分も死と隣り合わせであると思わされる没入感は、他のワンカット映画とは一線を画す点だろう。

 

 

 

 

そして見終わった後に気づく主人公の家族に関してのこと。

 

出兵時、振り向きもしなかった家族。

 

戦地で生き残った女と赤ん坊。

 

なぜ主人公はあれほどまでに全力で伝令をしようとするのか、その本当の目的は。

 

そして帰りたくなかったはずの家庭の写真を見て冒頭と同じように木に腰掛ける主人公の顔。

 

帰ろう。

 

そう心から思わせる確かな傑作でした。