雑食ふしあな雑記

勢いだけで映画やアニメの話など 

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メリー・ポピンズ:リターンズ 悪い点

まずいつものディズニーへの苦言として
 
「はい、ウチは社会問題にしっかりと配慮していますよ」
 
という時代的に齟齬がある黒人優遇問題
 
人種に関わらず大衆には分かりやすくしなくては理解できない、文句を言うということを踏まえても流石に物語のバランスが少し歪に見えてしまう観客のセカンドオピニオン化はやめて頂きたい
 
 
 
なんてなことはいつものディズニーの悪癖、というか病的な強迫観念は毎度のことなので置いておこう
 
 
さぁ問題その2、母の形見である瓶の修理を頼んだわけだが、誰が見てもわかる通りあれはメタファーであり象徴だ。
 
しかしこの瓶の出番は修理を頼んで以降最後まで出てこない。完全に忘れているのか気が利いていないのか
 結局のところ、親であるマイケルはあれを売ろうとしてまで追い詰められていたことも、その末彼らがそれを割ってしまったことも知らないままだ。
 
本当に惜しい。
 
 
 
続けて問題その3、救われない銀行の頭取
なぜ彼も救ってあげないのか、なぜ彼は自分に合った風船を選べないのか
 
それはただ悪役として物語に入れられた異物だからだ。
ここもまた本当に惜しい、単純に制作側の好き嫌いの問題で個人的にキャラクターへ罰を与えているように見える
 
初代の子供の2ペンスを無理やり奪おうとする銀行の爺さんでさえ最後は救われるにも関わらず、なぜコリン・ファースは許されないのか
 
彼をただの拝金主義者にする必要はない
 
 
 
 
問題点その5
 
安易にヒットを狙いの要素を入れる必要性
 
むろん多くの人気ヒット映画に通底する要素がある
 
それはカーチェイス、恋愛、歌だ
 
もちろん歌はディズニー及びメリー・ポピンズには欠かせないものであるからここでは省くにしても
 
あのロイヤルダルトンボウルの中での下りは必要だったのだろうか?
 
いわゆるアクションだけで、ストーリーや子供たちの関係性は動いていない。よくあるとりあえずのチェイスになってしまっている
 
 
そしてジャックとジェーンの、これまたストーリーにはなくてもいいもので、彼らが愛を感じることで話の深みには繋がらず「勝手にやってる」だけに留まっている
 
 
そして一番の問題その4
 
バンクスの家だけでなく、我々の元に帰ってくる必要はあったのか
 
 
 
これが一番の問題だ
 
もちろんディズニーは慈善団体じゃない、利益のためならなんだってする
 
しかしただの続編ではダメだとアイズナーがCEOであった時代に嫌というほど味わっているはずのディズニーは、この時代になぜそれを描くに足るのかというのを無理があろうとも見出す必要がある
 
 
しかし今作はどうだろう、1935年と2018年を繋ぐようなテーマがあったかと言われれば疑問だ
 

eiga.com

この記事ではエミリー・ブラント

人々が非常に苦労していた時代だから。混沌とした社会に求められる秩序を改めて示すために、メリー・ポピンズがやってくる。それをいまこの時代に見せたかったのだと思います
 
 
頷くには少し無理があるというか、別にいつの時代にだって言える当たり障りない理由だ。
 
 
 
この映画は面白いし、作り手は頑張っている
 
しかし過去の名作を現在に蘇らせる意味を物語に組み込んで欲しかったなぁと、非常に個人的な意見で締めたいと思います
 
 
 
 
 
 
 

メリー・ポピンズ:リターンズ 良い点のみ

メリー・ポピンズ:リターンズを見てきた

 

(今回は良い点と悪い点で記事を分けます)

 

 

企画が浮上したというニュースもあれは確か4年ほど前だったか

 

当時は「あーあぁ見るかよ、んなもん」とは思いつつ、気づけばスクリーンの前に

 

 

ただ今作を語る前に、なぜメリー・ポピンズは時代を問わず人々を魅了するのかという点を抑えておきたい。

 

 

まずはもちろんウォルト・ディズニーのイメージ、そしてP.L.トラヴァースの原作、そしてピーター・エレンショウのマットペインティング、これが最も重要なシャーマン兄弟による楽曲の数々だろう

 

 

これらが(主に原作者と)反発して、混ざり合ったものが64年のメリー・ポピンズである

 

原作者との反発は「Save The Mr.Banks」を見れば、メリー・ポピンズがなぜナルシストで冷たく傲慢な性格あるか、そしてどういう話だったのかというのがより深く分かるのでぜひ見て頂きたい

 

 

前置きを終えたところで、今回のリターンズについて思い出すまま

 

 

まずOPのシンデレラ城の手前の川がイギリスの石畳みになっているのがニヤッとさせられてしまう

 

そしてバートと思わしき(本当に紛らわしい)キャラクターが街灯を消してまわり朝の準備をしながら、はい今作で耳に残る一曲目

 

「Lovely London Sky」

www.youtube.com

これを歌う前作のバート的役回りである新キャラクター、ジャック

(設定ではバートの弟子なんのだよらしい)

これを演じるのがなんとリン=マニュエル・ミラン

 

リン=マニュエル・ミラン

 

 

ハミルトンでアメリカではド級のヒット打ち、モアナの曲や、フォースの覚醒でさえ歌っている、そんな超がつく売れっ子

 

 

事前情報なしで見に行ったこともあり酷く驚きつつ、セリフに出てくるまでバートなのか別人なのかとずっともやもやしっぱなし

 

なぜバート役ではダメだったのか...これは後述するヒットの法則が一つ起因なのではと邪推していますがどうでしょうか

 

 

そしてまず第一の見どころとしてやはりメリー・ポピンズの帰還シーン

 

 

雲をえぐる様に晴らして現れるあのシルエットはやはりちょっとホラー的な要素を意図的に演出しているんじゃないかと思うような...

 

それともこの有名なネタ動画の印象が強すぎるのでしょうか

www.youtube.com

 

 

個人的にはリターンズの予告でバスタブへ入るエミリー・ブラントの顔がどういうわけか生理的に本当に苦手だったんですが

(コレ)

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ジュリー・アンドリュースの温和な空気から一変して

 

原作者のトラヴァース感マシマシの気の強そうな鋭い顔、現代のなりたい女性像の提示にもなっていて、本編を見ればかなり好印象!

 

正直エミリー・ブラントの中で一番のはまり役だと思いますね

 

その後、母の形見ともいえる瓶を欠けさせてしまい~のくだり

ここで耳に残る名曲その2

「“The Royal Doulton Music Hall"」

www.youtube.com

やはりアニメと実写の同居は見ていて楽しい。がやはり初代のあのワクワクして一緒に踊って歌っているような気持ちよさはなく

やはりロブ・マーシャル的な演出でアニメと実写とを融合させている

というような言い方では否定的に捉えられるだろうが、それはまた別の話だ

 

初代のアニメとの融合はあの時代、あの黄金のスタッフ&キャストでしか成しえないもので、今作と比べるものではないのだろう

 

そしてここでもまたヒットの法則その2が差し込まれる

 

カーチェイス

 

ここは可もなく不可もなく

 

 

 

 

一気に飛んで

 

「Trip a Little Light Fantastic」

www.youtube.com

 

リン=マニュエル・ミランが歌って踊るんだからそりゃいいわ、最高

 

 

 

 

そしてここが一番誰かに話したかった点

 

メリー・ポピンズはスーパーマンである

 

という話

 

 

と、その前にシンプソンズで丸々メリー・ポピンズのパロディ回

 

シェリーボビンズがやって来た⁉︎」という話があることを説明しておこう

 

あのシンプソンズ家を何とかしよう頑なにメリー・ポピンズではない、聞き間違いだと主張するシェリー・ボビンズが現れるが、結局はお手上げで家から去っていくシーン

 

みんなが「さよならシェリー・ボビンズ」と別れを告げる中

通りがかった酔っ払いのアル中バーニーが「あばよスーパーマン」と言い

 

彼女が空へ上がっていくと飛行機のジェットエンジンに巻き込まれて一瞬でひき肉になってしまう(本当にひどい)

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このバーニーの「スーパーマン」という発言がある意味、真実になってしまうのだ

 

 

そう、ジャック達街灯夫が命がけで梯子をかけながらビックベンへ上った努力をすべて無にして空へ飛び、時計の針を戻すことで物語上の時間を巻き戻すことに成功している

 

 

そうリチャード・ドナー版スーパーマン2でヒロインを殺されたスーパーマンが地球の自転と逆方向へ飛ぶことで時間を巻き戻すあの伝説的なインチキを彼女はフワッと、めんどくさげにやってのけたのだ

 

 

 

まーたシンプソンズが予言を的中しやがったぜ!!

 

本編に戻って

 

最後にあのバートとミスター・ドース・シニアの二役を演じたディック・ヴァン・ダイクがミスター・ドース・ジュニア役として、それもCGかと目を疑うようなステップを軽やかに、実際に踊ってみせ

 

 

ここで2ペンスの話が出てくることで、正直号泣してしまいました

 

これはずるい、誰だって泣く

 

 

 

そこで捻った解釈のひとつとして提示したいのは

 

 

あの2ペンスが投資によって莫大な金になり借金を返せるというオチ

 

しかし時代は1935年、至る所で銀行は閉鎖し金があるとは考えにくい

 

そこでドース・ジュニアは顧客の信用を裏切った償いと、父を笑いの中見送らせてくれたこと、そして個人的な信頼関係から、借金を免除してくれたのではないだろうか

 

 

だからこそ喜ぶバンクス家族を見たドースはわざわざなにもない左を見てから、右にいるメリー・ポピンズを見て互いに笑っているのではないだろうか

 

もしこれが意図したものであれば、なんて大人な、そしてそれをオリジナルの役者であるディック・ヴァン・ダイクに花を持たせているのならば

 

なんて夢のある映画なのだろう

 

とりあえず役者はみんな良かったし、曲もよかった

 

 

おおむね満足!

 

目に見えて悪い点は後日書きます

 

スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス!

 

 

 

 

 

 

 

Halloween(2018) 俺はいったい何を見ていたんだ.....(ネタバレ注意)

1作目からなんと40年

 

1978年、言わずと知れたジョン・カーペンターの代表作の

 

Halloween 

(以下78)

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その9作目.....9作目!?

(1作目しか見ていない...)

 

Halloween

(以下18

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最近ではホラーゲーム「Dead By Daylight」で若年層にも高い知名度を誇っている....

 

というか私もこれ経由で2年前ほどに知りました

 

 

まず有権者に知って頂きたのは、この18の予告が公開されて度肝を抜かれたのは、あの主人公ローリーが射撃訓練をし、家に隠し部屋を用意しローリーと殺し合うき満々なのであります(怒り新党感)

 

 

あのリプリーでさえ、エイリアンとの接触は極力避けていたにも関わらず、ローリーは殺してやろうと精神病院の前にまで行く始末

 

 

ここで大まかなストーリーとオチまでを説明しましょう(ドネタバレです)

 

対マイケルに執着するあまり自分の娘を幼少期から鍛え、自身もまたパラノイアにも似た精神病を患い、疎遠になっていた娘と孫。

 

そんな中マイケルが搬送中に脱走。次々と殺し、娘と孫を地下に匿い、

ついに対マイケル用ローリーハウスで宿命の対決。

 

しかしローリーはあっけなくマイケルに敗北し気絶する。

 

 

「ママ!助けて!やっぱり無理....ごめんなさい!」銃を手にするも恐怖のあまり泣き震える娘と孫

 

その2人を狙い、地下の入り口に現れるマイケル!

 

さっきまで震えていた娘は突如

「gotcha」

 

そう吐き捨て、銃を素早く構えマイケルの頭を正確に撃ち

気絶していたはずのローリーがマイケルの背後に!

 

「Happy Halloween Michael!」

 

 

ナイフでマイケルの肩を突き、孫もまた手を切りつけ地下へ落とすと、娘と孫を上がらせレバーを引く。

 

すると地下への入り口が閉ざされ、家の至る所からガスと火が一斉に噴射し大炎上。

 

3人の女たちは車に乗り、命の危機は去った....しかし孫の手にはマイケルの包丁が握られていた....

 

終わり

 

 

なんだこれは、一体この映画はどの視点で見ればいいんだ

 

ローリーハウスに至るまではしっかりと息をのんで、ドキドキしながら見ていたってのに

 

マイケルとの一騎打ちではローリーはマイケルを一度追い詰めるのです。

 

その流れが完全に78のあのクローゼットの攻防を反転させた演出で

ここから笑っていいのか、燃えていいのか、ハラハラしていいのかがわからなくなる

 

奮闘の末、ローリーが二階から落とされ、それをマイケルが確認し、既にそこにはいない

 

 

というもはやローリーはマイケルとの戦いの中で、恐怖の中で、相手の戦法を

自分のものとしたのだ

 

じりじりと逃げ場をなくし、追い詰め、突如として消え、背後に現れナイフを突き刺す

 

 

これは皆覚えがあるだろう。そう

 

ジョーvsホセ・メンドーサ戦のそれだ(画像検索より)

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ジョーはホセとの試合の中で、意識も絶え絶えのなか、本能でかつて戦ってきた相手の戦法を模倣し戦うのです

 

ジョーはホセ共々、真っ白になりそこに勝敗などはありませんでしたが

 

ローリー一族は勝ったのです!

 

マイケルだけではありません、その執着や恐怖の象徴であった対マイケル用ローリーハウスごと!焼き尽くしたのです!

 

 

 

正直自分でもこの映画は何が何だかわからないので、ふざけて逃げます。

 

 

でも最高に面白かったのは事実です。

 

 

本当です。

 

 

 

 

なんでこんなになんだよ シュガー・ラッシュ:オンラインが示したものとは

※公開から間もないですがネタバレ全開です

 

 

まず、何から語ろうか 

 

マイケル・アイズナーの商業主義からか

 

プリンセスと魔法のキス」から始まったディズニープリンセスの再構築からか

 

ディズニーのルーカスフィルム、マーベル買収によって失ったあまりにも大きなものからか

 

 

どれから話しても今回のシュガーラッシュオンラインはより楽しくなるし、頭を悩ませてしまう

 

 

しかし、あえていい面だけを取り上げたい

 

 

何よりも今作のテーマである「卒業」のあまりの多層性に心打たれてしまったからだ

 

グレッグ・モットーラ的なオタク少年たちの

【無邪気でいられた幼少期】からの卒業

 

 

愛するからこそ離れてほしくないという

【親】からの卒業

 

足りないものを埋めるため内に入れておきたいという

【独善性】からの卒業

 

 

自分の中にある実存主義的な

【不安】からの卒業

 

 

まさにオモチャを通して親の視点を描いたピクサー、ディズニーの総括にも似た多層構造の深さたるや....

 

 

そして肥大化してしまった独善的で、独占的な自我を癒すのは1作目では諦めながらも成しえた「ヒーロー」の自己犠牲の精神であり

 

愛する人の成長を認め、解き放つ

 

 

この本を思い出さずにはいられなかった

 

成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論

成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論

 

 

 

そしてライムスターの「ナイスミドル」の歌詞から

 

『自分が自分であることを誇るようになったかつてのワナビー

 

が真っ二つに割れ、それは決して元には戻らないけど分かち合えるというなんという大人な着地

 

 

 

 

 

とにかく小難しく退屈になりがちなテーマをよくぞ1作目からアップデートしてみせたディズニーの手腕にただただ感嘆を漏らすばかり

 

 

 

そして初のスターシステムを使い一堂に会したディズニープリンセス

 

落下するラルフを助けるシークエンスにはアベンジャーズ並みの熱量と

 

かと思うと最後に占めるのは「プリンセスと魔法のキス」を配してくる、このプリンセスの歴史が補完される快楽

 

 

さらにはこれだけサービスと非常に深いテーマ性を語り終えた本編終了後に続く

手を叩いて笑ってしまうような2大ミームと皮肉めいたパロディバランスの黄金比

 

そして随所を飽きさせない数々の笑いどころ

 

シンプソンズイムズを感じる面倒なアメリカオタクネタ

 

・最近恒例の「古典、最新映画ネタ」ではキングコングラ・ラ・ランド

 

・細かく笑えるスターウォーズネタ

 

・明らかに必要以上にクールなシャンク(ガル・ガット)

 

 

 

完全に2018年ベスト1でした

 

 

Everything Awesome!!

 

 

今更ながら気づいた「モアナと伝説の海」のポリコレ視点

この内容を書く上で一つ前置きをしておきたい。

 

私は男根象徴や破瓜の暗喩、のような解釈の仕方はあまり好きではない。

それが製作者の意図するところであっても一定の懐疑や嫌悪のようなものを幾何か感じてしまう。

 

といったことを踏まえ

 

かつてこのブログで

 

マウイがあまりにも目くばせ的に「村で子育てしてりゃ」というセリフを言うのは鼻につく

 

というようなことを言ったことがある。

 

 

 

 

しかしどうだろうマウイの持つ魔法のフック男性的権威と当てはめてみれば

 

 

 

 

長らく(おそらく古き良きアメリカンマッチョイズム)失われてきた男性的権威

 

女性との協力で取り戻す。

 

 

しかしそれはまだ真なる価値は持っておらず、まやかしの権威であり

 

その両者の前に立ちはだかる困難を前に、例え取り戻した権威が壊れようとも立ち向かい

権威が形を失ったとしても、それは本質的な喪失ではないことがわかる。

 

 

 

 

もちろん今までこの視点を感じていなかったわけではないし、皆が心では受け取っているメッセージではあろうが

 

今更「魔法のフック」の持つ意味を言語化できた。

 

本当に今更orz

 

 

 

 

 

 

 

GET OUTを見て

黒人男性と白人女性のカップルが女側の家族に会わせたい、ということで人里離れた屋敷へ向かう....

 

 

と大体話の流れはあらすじから分かってしまうホラー映画

 

 

しかしこれを良作たらしめる要素は笑いと時節柄である

 

それをどちらも一人のキャラクターによって成されていて素晴らしい

 

 

というのもロッドという主人公の親友である運輸保安省の職に就いている黒人

 

彼がわかりやすいコメディリリーフとなって、ほとんどが電話越しで主人公に冗談交じりに主人公へ警告し続ける

 

ホラー好きには緊張感を解いてしまうと言われてしまいそうだが、見ている間常に泣きそうになっている自分としては電話越しの彼が温かく縋りつくような存在だ

 

通報すればいいのに、というツッコミを消すためのシークエンスでは

 

主人公から連絡が途切れ、ロッドは警察に助けを求めるが「ダチが白人ババアの性奴隷にされてる」という言い方ゆえに笑いものにされるシーンをわざわざコメディタッチで....それも数分間に亘ってだ

 

主人公は何とか助かり屋敷から逃げ出すが、自身を騙していた白人の彼女の首を絞め殺そうとするところに警官が

 

 

 

「これは人種題材だから白人警官が着て主人公が逮捕されるのでは....勘弁してよ」

 

そう絶望しかけると

 

 

 

 

 

 

そう、ロッドが助けに来てくれた

 

 

主人公ではなく自分を助けてくれたのだ

 

 

 

これは本来であれば白人警官で逮捕され啓蒙を促すBADエンドだったが、時節柄あえてこういったハッピーエンドにしたという

 

 

 

この映画の特殊な面は黒人を劣等種としての視点ではなく、身体的優位性ゆえに黒人を捉えている

 

 

これは紛れもない差別だ

 

 

ホラーであり最高のハッピーエンドを迎えながらもこの作品が根底に持っているカーブの効いた問題提起は視聴後もしっかりと残り続けている

アイズワイドシャットを見て

スタンリーキューブリックの遺作「アイズワイドシャット」を見た
 
いくつか考察や解説サイトを覗いてみると「倦怠期の夫婦」であるとか「性の話」
 
 
というのがよく書かれていましたが、私が感じたのは「運命」です
 
 
トムが「何故か」呼ばれているパーティーで二人の女性から虹のふもとへ誘われますが、それは遮られ薬物で死にかけていた娼婦を「救う?」ことになります
 
 
その後、怪しげな仮面乱交会に侵入し、そこで先日救った娼婦に助けられます
 
 
それからもトムは様々な女性と寝ようとしては邪魔が入り結局この2時間30分の中でヤったのは「妻」とだけです
 
 
つまりトムは妻の「踏み外しそうになった」話を聞き、自身も日常の外へ足を踏み入れようとするが結局は妻同様、元の鞘に納まった。という話
 
 
本来死ぬはずだった命を救い、それが再び命を捨て自信を元あるべき場所に戻る
 
 
 
 
 
彼と妻は本来あるべき運命の輪にハマりなおしたのです
 
 
 
 
 
結局この映画でスタンリーキューブリックは何を描きたかったのか
 
 
これは結果論でしかありませんが
 
暴力や進化、呪いや狂人など強烈なものを描いてきたキューブリックは神であるとか幽霊などは信じていませんでした
 
 
 
 
(それによってスティーブン・キングと決裂することにもなるのですが)
 
 
 
 
そんな彼が最後に撮ったのは運命の話であり、fuckだった...?