アベンジャーズ:エンドゲーム 鋳造と鍛造を繰り返した11年
多分にネタバレを含みます
「初日に見てないお前が悪い」
全てを見届け、今思い返すだけで涙が出る。
彼から始まった最初はとても小さな、でも確かな密度を持った「鉄」はたゆまぬ努力と、リスクを恐れない決断によって熱し、叩かれ
今や様々なものに影響を与えるほど大きく、柔軟性を持った「ユニバース」になった。
彼がいたから楽しかった、彼がいなければもう少し世界は暗かったかもしれない。
「私は絶対だ」
「なら 私はアイアンマンだ」
この「アイアンマン」というのがただの名称でないことを、みな知っている。
それは
過去の戒めであり
象徴であり
希望であり
平和の為の犠牲を諦めない者
大義の為に自身を顧みない者
なぜサノスが負け、アイアンマンが勝ったのか
11年という時間はこのロジックの為に積み重ねてきた答えだった
架空の、それも元は漫画の荒唐無稽なキャラクターの死にこんなにも、こんなにも涙が溢れるなんて
ありがとうトニー・スターク、アイアンマン、ロバート・ダウニーJr.
3000回愛してる
「Iron man will ''not'' return」
ナメていたフレンズがマッドマックスでしたアニメ「けものフレンズ」を10話から見て
ケムリクサを見て
「これはたつき監督についてもう少し知っておいた方がいいな」
という謎の使命感に駆られ、かつて4話ほど見て断念した「けものフレンズ」を本筋スタートだと聞いた10話から見てみました。
大体の話の流れなどはネットで知っていましたが、主人公である「かばんちゃん」が何者であるか、どういった話の帰結をするのかは知らない状態だったので
まんまと涙ぐんでしまった
というのもタイトルのマッドマックスとはどういうことなのかとも繋がっていて
もちろん最後の脅威である巨大セルリアンに対して、これまで友達になってくれたフレンズたちが一堂に会するシーンは
「昆虫物語みなしごハッチ」や「うしおととら」「金色のガッシュ」
などの積み重ねたが故の大放出
正直4~10話まで飛ばしているためほとんどのフレンズを知りはしないものの
あんな見せ方されると鳥肌は立つし俄然 燃えますね
正直こういう積み重ねをせずに気を衒ったアニメばかりで、王道をやる技量や土壌がないため、刺さること刺さること
でもって「けものフレンズ」の話は
自分がわからなくなった広大な退廃した世界で、ただひたすらに他者の長所を見つけて肯定していき、献身と自己犠牲によって自らを取り戻し、最後には周囲にまで自分の存在が波及して世界を変えていく
そして居心地のよくなった場所に永劫回帰的な停滞ではなく、再び旅を続ける
えぇそうです。完全にMADMAXです
かばんちゃんはマックス・ロカタンスキーだったんだよ!
もう一度かばんちゃんはマックス・ロカタンスキーだったんだよ!
正直、驚くほどの低予算と知ってはいながら’’ほつれ’’のようなものはさほど気にならなかったし
やっぱり「けものフレンズ」というコンテンツは、もしたつき監督が手掛けていなければ サービス終了と共に終わっていたんだなぁ、と
そしてそのこと気づきながら、既にたつき監督のものとなったコンテンツを
自分のものにしようとした制作委員会並びに吉崎観音は今自分たちのエゴに潰されかかっているので
あまり叩きすぎてもいけないし、それゆえにケムリクサが擁護ムードの中でTVシリーズとして始まり大成功を収め、実績を確実なものにできたという結果論は如何でしょうか
追記、ちゃんと1話から見て、さらに3週しました。たーのしー!
「ケムリクサ」完全なコントロールの先にある完成された作品。そして新たなアニメの在り方
プチブームとなった「けものフレンズ」
「ケムリクサ」
終わりましたね
「わかば.....好きだ」
最高かよ
ここで先に恥を曝すようですが
1話の放送当時、見てはみたものの、キャラクターの時代錯誤なキャラクター付けや絵面の自主制作感がなかなかに辛く『あの監督だし面白いんだろうけどストーリーを終わってから追うのでいいか』
などと思ったことをここに謝罪します
キャラクターへの苛立ちや、絵面。すべてはこの「ケムリクサ」が面白くなるためには必要でした
11話放送終了から急いで追いかけたため、考察や発見などはすべてネットの考察班の方々のおかげでやっと気づいた程度の【にわか】ですが、あえて総括するならば
たつき監督は『ゴジラ(1954)』の本多猪四郎監督の再来になり得る
というのは本多猪四郎監督は全てを自分でコントロールする監督として海外でカルト的な知名度を誇っており「作家性」という概念が最も強い監督の内の一人です
(本多猪四郎監督がいかにゴジラという作品をコントロールしていたのかはこちらの動画を参照ください)
この一件を踏まえて「ケムリクサ」を見ればわかる通り
これは彼と、彼の作品の話であったことは明白です
つまり本多猪四郎や宮崎駿のような心に大きく抱えた闇や傷といったものを一つの作家そのものの作品として見事昇華させ、それがヒットしているわけです
ここまで前置きをしておいてなんですが
ここからは全て仮定と憶測による話ですので
幼子の感想文を読むつもりでお願いします。
まず前作の「けものフレンズ」の製作費は通常のアニメ1クールの予算の半分という噂が広まっていますが
そうだとして、さすがに一度当てたため少しは予算が増えているであろうという皮算用の元で2億~1億8千万ほど?
ではこれだけの大当たりを続けた場合、次は比較的ビッグバジェットで制作する土壌が用意されてもおかしくはない
画は綺麗になって、もっと迫力のあるアクションが....
しかしそうなった場合、少数での制作から大勢の人手が必要になり、たつき監督の手は次第に届かなくなるでしょう
あのクオリティ、あの制作規模だからこその細やかな伏線、徹頭徹尾配された謎とその展開なのではないでしょうか
そして今アニメをあと一歩で息の根を止めようとしている悪名高い「制作委員会方式」ではなく取らず、制作会社ヤオヨロズのプロデューサーが考案したパートナーシップ制度を元に出資を募り制作しているため、利益配分は十分にできています
詳しい記事はこちらに
つまり、たつき監督のあの作品と絵面のクオリティを両立するのは難しいのではないでしょうか
ここで大きいのは決して映画や漫画とは違い、アニメは作家の個人作品になりえないということです
映画や漫画は自ら監督、主演、撮影、編集をすることはできますが、アニメではほとんど不可能と言ってもいいでしょう(新海誠という一例は除いて)
しかしそれに限りなく近いことをたつき監督は「けものフレンズ」でやってみせ、恐らく「ケムリクサ」もある程度は個人でのコントロールをしていてもおかしくはありません
(もちろんスターウォーズのように、すべてがジョージ・ルーカスに還元されるというようなことではなく、様々なファクターがあるとは思います)
つまりこの作品はアニメでありながら漫画の水準までトータルコントロールをした作品であり
直近ではアニメの絵面を完全に漫画化することに成功した「スパイダーマン:スパイダーバース」という作品がありましたね
この短期間に新たなアニメーションの在り方が連なる様にして生まれ、そのどちらもが一見奇をてらったディストピア、お祭りといったところからフックを作り王道で締めくくる
所謂「いつもの最高のヒット作」として成功を収めています
最終的に何が言いたいのかって
今後たつき監督がどういったスタンスで新作を作るのかが非常に目が離せません
そして
たつき監督ありがとう
最強、しかし平凡 キャプテン・マーベル
一年ほど前にマーベルスタジオCEOのケヴィン・ファイギが
「これまでとは違うオリジンにする」という旨をインタビューで発言しており
予告公開時点では「うーん不安だ」
そんな印象でしたが
いざ劇場へ
先ずこの映画はいわゆる5億点出てます、それも開始十秒以内で
いつものマーベルスタジオのOP映像が全てスタン・リーになっているという、既に鼻がグズって仕方ない
思わず背筋伸ばしました
しかしそれ以降は波がすこーしずつ収まっていくばかり....
話もこれまでのヒーロ誕生ストーリーに謎説き展開を加えて、外連味を出してみたわいいものの、テンションはずっと平坦で常に60点を出しているような感じ
キャロルが過去から現在の数パターンの立ち上がりを連続で見せるシーンは燃えるもののあのCG空間とアネット・ベニングスという配役にどうしても邪魔されて燃え尽き損ねる
スクラル人が実はヴィランでなく、もはや少数民族になっていたり
オタクへの目くばせは、気持ちは嬉しいけどもうちょっとイイのありませんか....というか
特にアベンジャーズの理由づけが少し雑というか、もう少し流れで匂わせて欲しかったなぁと思うのは厄介オタク特有でしょうかね
しかしもしこれと同じ役者、同じプロットでDCが制作していたならば、とんでもない駄作になっていたことは皆さん予想できるはず
これはマーベルスタジオが十年間に渡って作り上げてきた映画の型が良く出来ているのであって、決してこの監督が上手いわけでもなく、お話が面白いわけでもない
全体的なビジュアルもノスタルジーを感じるほどでもなく、惑星クリーのデザインも安い
そしてなによりキャプテンマーベルの能力がそもそも魅力的でない
拳からビーム出すだけで相手にダメージが入ったときの重みだとかもなく、相手はとりあえず吹き飛ぶのみで、アイアンマンからアーマーを取ったようで彼女にしかない魅力を描けなかったのが何よりの痛手だと感じる。
そして彼女がアベンジャーズに加わったところで、サノスに全く太刀打ちできる気がしない
単体としてシリーズの橋渡しとしても非常に薄口でした
スパイダーバースには3つの見方
とにかく登場した時からスパイダーグウェンが大好きで、第2弾の予告で登場が判明してからというものずっと予告編を見てました
スパイダーグウェンの映画として100点
スパイダーマン(マイルス)として65点
お祭りとして80点
こんな感じかな?
マイルスの物語としては、しっかり彼のことが好きになれるし、最後にはスーツ姿もカッコいい
でもどうしてもライミ版スパイダーマン2のメイおばさんの名セリフっていう大きな壁があって
挫けたヒーローがいかにして立ち上がるかのシークエンスが非常に不満
マイルスの父親が扉越しに伝えるシーン、ベンおじさん的人物がマイルスに託す最後の言葉
この二つがイマイチ刺さらないというか、作り手自身が芯を捉えていないような気がする
スパイダーマンのヴィランは基本的に鏡像としてのヴィランであって、大いなる責任を背負うかどうかで善にも悪にも転ぶ
今回鏡像となるのはフィスクとダメピーターとなるべきだ
どちらも愛する妻が自分のすることで離れていく、それを無理に引き戻そうとする
つまりここでダメピーターはMJを別次元と入れ替えようと考える、悪への揺さぶりが必要だった
この映画を見た人はわかる通り、これはマイルスとダメピーターの物語であって他のスパイディ達はあくまでオマケだ
つまりプロウラーの下りをまるまる削除し、フィスクと同じ考えを抱いたダメピーターが、未熟だったマイルスによって本来のピーターに戻り、自身がベンおじさんと同じ役割を果たすべきだった
そしてフィスクとの一騎打ちで叩きのめされ倒れるマイルスは父親の「立て!」に加えて他のスパイディ達からも言われた「立て!」がリフレインされるべきだ
というようにコアとしての物語は非常に物足りないが、お祭り映画として、画面のグラフィカルさも非常に楽しめたし、グウェンも可愛かった。OPもEDもカッコよかったしオマケ映像も楽しめた
あと4DXだとウェブシューターが発射されるたびに首元から「シュッ」と空気が噴き出すのがよかった(後半ちょっと鬱陶しくなったけど)
とりあえず代金以上には楽しめた〜
自分だけのモアナ
自分の色んなものの原点には中学生の頃に見た「天元突破グレンラガン」というガイナックス制作のロボットアニメがありまして
決して万人に勧められるような完璧なアニメというわけではないのですが、どうしようもない中坊時代はこのアニメを支えにしていた、というより今もしているわけで
自身のオールタイムベスト1位、イーストウッド監督の「ジャージーボーイズ」もまたグレンラガンというリテラシーあっての1位なのです
最終話から一話前の26話。敵の罠にかかり多元宇宙迷宮に閉じ込められ、死んだはずの兄貴分カミナとの仮初の日々を送り、本来の自分を見失う主人公シモン。
しかし不意にもう一人のカミナが現れ「無くしたのか?ドリル(魂)」「好きな方を選べ」と選択を迫り、仮初のカミナを殴りその手に自分の魂であるドリルをその手に取り戻します。
そして「ジャージーボーイズ」
喧嘩別れで散り散りになった4人が歳月を経て、かつての歌に独白を重ね主人公であるフランキー・ヴァリが「歌い続ける、あの頃に戻るために」
そう言い、振り返ると最も輝いていた頃が蘇り一緒になって歌い上げて終わったかと思う暗転の1.5秒ほどが何十秒にも感じられた後のさらに大きなクライマックス。
「今は亡き憧れや、かつての栄光」といったテーマは空しいものであったり、堕落の元として描かれがちですが
グレンラガンもジャージーボーイズどちらの作品も「今は亡き憧れや、かつての栄光」に引っ張られるのではなく、それにこそ押上げられ、奮い立たせてくれる。
そこでこの記事のタイトル、ディズニー制作の「モアナ」では
相棒である半神マウイと喧嘩別れをし、自身の使命を海へと手放し、死んだはずの祖母が霊体となって現れ「帰ってもいいんだよ」とモアナに判断を委ねます
そして祖母は「あなたは誰?」と問いかけられ、歌と共にモアナは自分の中にある祖先への憧れを呼び起こし、高らかに「I Am Moana」と叫び【心】をその手に取り戻す
話の本質はグレンラガンと変わず、ただひたすらに熱く、折れる自分を鼓舞してくれる
他の記事でも書いたように、ディズニーのフィルモグラフィとしても非常に先進的なテーマというのもありますが
それよりもなによりも「過去が希望をくれる」という、ここでも中坊時分ハマっていた「仮面ライダー電王」ともまたテーマが重なり
自分だけのモアナの楽しみ方、好きになる要素は一貫して似たような芯が通っており
自分というものを”好き”で再確認できた。
ベルベット・バズソー お前らみんな死んじまえ
あの名作「ナイトクローラー」の監督&主演が再びコンビを組んでの
「ベルベット・バズソー」
非常に簡潔なあらすじ
突然死んだ無名画家の絵が素晴らしく、アートビジネスで儲けようとしたらそれに群がった人たちが次々と変死を遂げていく………
という話だけではB級感漂うし、日本ではサブタイが「血塗られたギャラリー」ってなんでも映画秘宝的にしてボンクラに受けると思ったら大間違いだぞと釘を刺しておきたい
アートを金ばかりで考えるやつらも、批評してる奴らもみんな殺すというまさに怨念のこもった1作
個人的に最近西洋画ハマり始めていて、少し踏み込んでいきたいと思ったら二の足を踏みたくなるそんな夜
とにかくジェイク・ギレンホールのカマっぽい演技がたまらない
前回のあのアントン・シガーに負けず劣らずの、もはや概念的なカメラマンから一変して
高尚な位置から芸術を批評し、ついには憔悴しきっていくあの様は堪らない
特に序盤の、ボールペンの頭を下唇に沿わせるのがエロくて素敵!
レネ・ルッソはナイトクローラーではキャクター表現として厚化粧が中々にキツい(褒め言葉)からなんとも思わなかったのが
今回は終盤、家の中で怯え始めるあたりから中々にキュートっしたね、ただその首のタトゥーは一体何だったんですかね、どっか見落としてたのかな…
ここで連想した「悪の法則」のボリートの画像置いておきます(三角絞めさんオマージュ)
そして唯一の癒し、ココちゃんが可愛い
wikiを読むまでストレンジャーシングスの姉ちゃんとは夢にも思わず
とにかく人に取り入ろうと、自分の場所を確保しようとするがあまり次々と死体を見て最後には実家に帰っちゃうココちゃん
ここでおんなじくらい可愛い叫ぶホーマー貼っておきますね(三角絞めさんオマry)
正直、アートの呪いの死に方はさほど怖くもなければフレッシュさに欠けるかな〜
それにちょっと長くて緊張感も続かないし、もう少し上映時間はタイトに出来たと思う
あとイマイチラストの浜辺でのアートが抽象的すぎるわ
やっぱりナイトクローラーが面白すぎたから、今回は期待はずれ。次回があればいいけど…
お、失礼。注文してた「眠るジプシー女」のスマホカバーが届いたみたいで、ちょっと受け取ってきまーす